投稿「困難事例」


「脳を活性化するためにうちではお年寄りに掛け算や引き算をさせています。お宅ではどんなことをさせていますか」と同業者から尋ねられた。その返答に困り果てた後「僕たちはお年寄りたちと駆け引きをしています」と答えておいた。

村瀬孝生著 「ぼけてもいいよ」(西日本新聞社)より


◆投稿「困難事例」

困難ケースの依頼を受けました。
私で大丈夫?なのと、自問自答しています。

そもそも、誰が困難なんて、きめるんだろう。

ご本人たちは、自分たちが困ってるから介護保険を使おうとしてるのに、困難か、そうでないかを、私達が決めていいのだろうか…?

新しい方に、どう接していったらいいか考えると、いつも内臓全部がムカムカする私です。

なんか、いいアドバイスして下さい。(匿名)


     匿名さん、いつもお便りありがとうございます。よかったら、次回からはハンドルネーム(ニックネーム)も付けてくだされば助かります。

「困難事例」という触れ込みで、相談があり、そこから、ムクムクといろんな想いが沸き上がってきたんですね。普通の新規の人との出会いでさえ、緊張してドキドキするのに、あらかじめ「困難」なんて、言われると、複雑な心境ですよね。

うまく支援できなかったら、私のせい? なんて自分を責めてしまう心境も沸き起こってくるかもしれません。

何をもって困難事例とするかは、既に多くの專門論文などがあるはずでが、通常は

「客観的に見ると、何らかの援助が必要に見えるのに、その援助がスムーズに提供できない」

つまり「援助困難」の事を意味すると思います。

そして、その援助困難の原因としてありがちなのが

1)認知症、性格、病気など本人に起因するもの
2)介護者、家族などの人間関係に起因するもの
3)サービス事業者の関係性など支援機関に起因するもの
4)住宅環境など生活環境によるもの
5)難病関係など制度上のもの
6)経済的なもの

こんなところが、主な原因になりがちかと思います。あと、上記が複合したケースとか。

対処方法については、おそらくしっかりした腕をお持ちでしょうから、これ以上は書きません。

でも、気になるのは「新しい方に、どう接していったらいいか考えると、いつも内臓全部がムカムカする」という文面です。

ちょっと、これだけでは、どういった感情なのか分かりづらいのですが、他人の人生に深く介入していくことへのストレスを総じて表現されておりますでしょうか。

責任感が強く、真面目な方であれば、その手のストレスを感じ、休日などもなかなか、休まらないようになってしまうこともあるかもしれません。

私もそうした責任感から、いっとき、燃え尽きそうになったことがありましたので、そのとき、深く深く、自分の援助を振り返りました。

その結果、私の場合は、自分自身に問題があったことに気づきました。
自分の中の「ケースを何とかしよう」とか「援助しなければ」という無意識が、問題を背負い込み、ケースに囚われている自分を作っていたことに気づきました。

以来、自分の「非力さ」を自覚し、いかに関係者やケアチームと情報を共有し、みんなで支えていくか、という方向へ支援の軸足をずらしました。

それと、「いい子」「良い援助者」をやめること。これも、メンタル面で重要だったように思います。自分の中に無意識のうちに「良い援助者」たらんと、負担を背負い込み、支援しようとするぶりっ子な自分もいましたので、その仮面も脱ぎ捨て、ある意味、開き治って支援に当たるようにしました。

簡単にいうと「できることはできる。でも、できないことはできない」。それをオープンに表明することだったように思います。

元々、80歳、90歳の老人はハイリスク。
しかも、私達には注射もなければ、メスも薬もない。
あるのは、「ことば と手」だけ。

それだけで他人を支援するってんですから、大したことなどできるはずがありません。
「もともと、うまく行かなくってフツー」。
その前提に立って、できる限りのことをやっていかなければ、ほんと、やっていけませんよね。(本間)

0 件のコメント: