介護と家族・地域との媒介者としての介護従事者

先日、とあるグループホームの方から相談を受けました。寝たきりで植物状態に近いような高齢者のケアプランの書き方で困っていますと。



聞けば、家族の関わりはあまりない利用者であるとのこと。

「家族の代弁などがなければ、どうしても職員がそれをしなければならなくなります。しかし、職員は他人ですから、それも難しいこと。

下手をすれば声の大きい職員の主観などによってケアの方向性が進められかねません。

しかも、家族が関わっていないということは、その介護が社会にまったく開かれていない、ということです。

すると、介護職は自らの介護に意義を見出しにくい状態になります。

家族の介護負担を担ってさしあげ、その家族は社会との接点を持っているという「つながり感」が重要だと思います。

そして、その家族から『ありがとうございます』という感謝の声を投げかけられることで介護職は、自らの仕事が社会の役に立っている、自らが社会とつながっているという感覚を持つことができるのではないでしょうか。

その社会との接点がなければ介護現場は閉鎖してしまい、職員のやる気は下がり、ケアの質も低下。最悪の場合、虐待リスクも高まります。

しかも、得てして、普段、介護を現場に丸投げし、無関心を装っている家族に限って、突然、勘違いに基づくクレームや要求をされる傾向があります。

確かに、現場のことに家族や第三者が介入してくると、その説明などが非常に手間がかかり面倒な側面も持っています。

しかし、それをしなければ、いつまで経っても介護の現場は社会に開かれていかない。悪循環の現場になる可能性を秘めています。

しんどいとは思いますが、なんとか家族と接点を見つけ、つながり、連絡を取り合えるような関係に近づく努力をしていく、そして、少しでもケアプランやサービスの内容に家族の声やつながりを関係づけていく必要があると思います」。

そんなことをお話しました。



一方、先日は盛岡で行われた「新しい介護学会」(ぬぐまるの家・主催)に講師としてお邪魔してきました。そこで、初めて静岡で老健をされている高口光子さんの話を聞かせていただきました。

私自身、自らの話の中でリスクマネジメントの話、家族の話をさせていただいたのですが、くしくも高口さんの話にもその2点が大きな要素として登場しました。

中でも印象に残っているのは、家族にいかに「介護に関わってもらうか」に重きが置かれていた点でした。



家族や地域との兼ね合いにおいて、福岡市「第2宅老所よりあい」にて従事されておられる村瀬孝生さんの『看取りケアの作法』雲母書房には、非常に明解に、介護労働の役割がこうあるべきだと書かれています。

「介護は地縁に結ばれた共同体において介護労働を再分配し、生・老・病・死を家庭や地域社会に取り戻すことである。」と。

つまり、介護の社会化とは、介護サービスがすべての介護を丸抱えするのではなく、地域、家族などみんなで関係していかなければならないものなのだと、書かれていると私自身は解釈しました。

そして、とても共感します。

家族や地域って、面倒くさいし、愛憎が交錯するものだと思います。

でも、憎みあったまま死んでしまって、永遠の別れとなってしまったら、どこかに後悔が残りそう。

最後の最後では、和解して死んでゆきたい。そんな風に思うのは私だけでしょうか。

そして、介護に媒介の「介」の字が入っていることの意義には、そうした家族と老人の間の媒介になっていく、老人と社会の媒介になっていく、という意味が潜んでいるのではないかと思うのです。

(本間)
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