放送禁止的な存在と「介護の社会化」

マサオさんは寝たきりで全身、拘縮していた。
言葉は一切喋れなかった。
「ウォー!」という叫び声だけが唯一の表現言語。

「マサオさん、おいしいですか?」
「ウォー!」
「マサオさん、どうしました?」
「ウォー!」

なんでも、こんな調子。


 マサオさんに喜怒哀楽や意志的なものがあるということは介護職員となり随分と経ってからのことだった。
 フロアが違うこともあり、マサオさんの細かい状況が分からなかったためだ。

 しかし、赤の他人で一瞬だけ施設に訪れた家族や見学者には異様な光景に映ったはずだ。
 マサオさんは笑顔なども滅多に見せなかったし、見る人が見れば不快感を感じてもおかしくはなかった。

 そうした「放送禁止」的な存在の方が介護の現場にはわんさといる。

分かりやすいのは死ぬ直前の人。
全身状態が変わり、呼吸が変わり、表情が変わってゆく。

ヒトが命というシンプルな物体に近づいてゆき、むき出しの生と死の境界が現れてくる。

それは普通は正視に耐え難いものだ。
子どもなどは目をそむけるだろう。

ときどき「放送禁止」という言葉が脳裏に浮かぶ。

映画やテレビなどに出ているのは、それら放送禁止の中から選りすぐりの「ソフトな内容」である。

 マサオさんのような放送禁止的な存在の方を思うたび「介護の社会化」という言葉が嘘くさく感じられて仕方がない。(本間)

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