親子介護の難しさ

「やっぱり親子だから、感情的になっちゃうんですよね・・・」。
とある事情で、一時的にお母様を自分の家に預かることにされたTさんがつぶやかれました。しかし、どうしても介助がうまくできないようです。

お母様の世話をしようと試みたものの、当のお母様は、以前のように心身共に健康なお母様とは違う。その世話をするためにコミュニケーションを取ろうとするけど、相手がこちらのいうことをきちんと聞いてくれない。身内だという甘えがあるのか、聞く耳をもってくれない。イライラを抑え何とか冷静に話そうとしても、のれんに腕押し。介助する側の気持ちを察するどころか、逆撫でさえしてくる。つい、感情的になってしまい口論…。

認知症などになられても感情的な部分はかなり残るので、そういった感情的な口論は立派に成立します。介助する側にしてみれば「相手は病気なのに、感情的になってしまった」とますます、自分を責めてさえしまいかねません。
「せっかく、お母さんのためを思ってやってあげているのに・・・」。そのようにイライラが倍加してしまっても不思議ではないと思います。

先のご家族の言葉を聞きながら、介護のしんどさの実体は、本当にそういうところにあるのだなぁ、と思います。

その他、よくあるのがデイサービスでは職員さんからも他の利用者さんからも人気者なのに、家族内では非常に関係が悪いパターンです。

日本人は特に「内弁慶」「外面がいい」などという言葉が示すように、非常に内向きと外向きの顔が違ったりします。
ご家族の前では仏頂面なのに、外では非常にいい顔をしておられたりする。いつも世話をしている奥さんの前では無愛想なのに、介護サービススタッフの前では愛想がすごくいい。家族にしてみれば、それが面白くない。そういう方も珍しくありません。

いつも面倒を見ておられるご家族が「どうして、いつも世話をしている私に『ありがとう』の一言もいえないの」とお感じになっても不思議ではないと思います。

それでも、どんなに介護保険サービスを利用しても、それは親子や家族の役割まで引き受けてはくれません。「介護の社会化」なんて美辞麗句を使いながらも、一方で非常に利用制限があったりします。

認知症や要介護という障害により、これまでの「家族関係」にすら「ゆがみ」が出てきます。何十年という歴史の中でつもった澱(おり)のような記憶が、老境に至り、更に過激に塗り替えられそうになります。

結局、介護においてもっとも辛い要素のひとつである「社会的な孤立感」や「孤独感」「拘束感」などの精神的な負担は軽減されないまま。「介護サービスを利用しても所詮は一時しのぎにすぎない…」。介護保険制度や社会への不満が募って当然だと思います。

 認知症の教本などには、「相手を否定せず、受け入れることが大事」などというきれい事が書かれています。それらはキレイ事にしかすぎません。

 誰でも「自分に余裕があれば」相手を受け入れることはできます。介護を仕事として行い、いつでも御本人の介護から離れることができる介護サービススタッフには、その点での余裕があって当然でしょう。

でも、ご家族は根本のところでは、絶対に介護から離れられない、という想いがあるのではないでしょうか。まして、今は社会が非常に不景気で安定しません。経済的負担感などから社会の一人ひとりが「余裕を持って」生活することが難しい時代だと思います。

 そんな時代だからこそ、私はあえて介護をされている方に対して「無理して、相手を受け入れなくてもいい」「相手を受け入れるのは、我が身の安心を確保して、余裕ができてからでいい」といいたいと思います。

 介護保険制度などに対する意見、苦情などを厚生労働省が時々、そのホームページにおいて求めています。私も今の介護保険制度がよいとは決して思っておらず、新聞に投書したりもしています。そういったことができない方は本間までご意見ください。代わりに何らかの形で代弁できるよう努力したいと思います。

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