専門職という曲者

 先日、担当していた方がお亡くなりになられました。担当のケアマネジャーとして、きちんと支援をできたかどうかは気になるところです。そこで、今回は思い切って、そのご家族に聞いてみました。「ご家族をご自宅で看取られたわけですが、私達、介護事業者の支援はいかがだったでしょうか? 今後の私達自身の勉強のためにも、ここが良かった悪かったなど、振り返るべき点があれば、教えていただきたいのですが」と。
 
 しばらくして、ご家族と再び、その話をする機会がありました。そして、先の私の質問に対し、次のように答えてくださいました。
 「なんていうんでしょう・・・親の介護をしていて、医療関係者にせよ介護関係者にせよ、みなさん、私達 介護者に甘いなと思うことがよくありました」
 「え? 甘い・・・? どういうことですか?」

 「例えば、私の不注意で親が入院しなければらななくなった時がありました。そんな時、医療、介護関係者の方って、決して、私達 介護者を責めないんですね。 責めないで、まず、同情してくれるわけです。『それは、大変だったわねぇ』と。」

「それは、いいことじゃないんですか? そこで介護者の責任を責められたら、すごく辛くないですか?」

 「でも、私は家で介護していて、自分に落ち度があったと自覚しているわけです。そこを一切、触れず、決して介護者を責めないんです。責めないというか、私としては、もっと状況を詳しく聞いて「こうすればよかったんじゃないか、ああすればよかったんじゃないか」等と助言を言ってほしいわけです。

 もちろん、そこまでみなさん、余裕がないからなのかもしれません。でも、そういうことを介護者は求めているのに、そうじゃない。そこに何となく違和感を感じました。」

 「援助職の言い方がその場しのぎで、表面的に感じられたということですかね?」
 「そんな感じです」
 「なるほど。一通りの状況は理解してくれて『大変ねぇ』と同情はしてくれる。でも、それは、それ以上、医療・介護関係者が首を突っ込みたくないがゆえに、そういった同情だけを表面的に取り繕うことで予防線を張っているのかもしれませんね。。。確かに、そういう一面は私達、援助者にあるかもしれません。

 私達は医療制度や介護制度の中で、役割が専門分化されてしまい、全体的な面で老人や介護者の方の悩みや想いを見ることができないようになっています。

 一人の方の介護にまつわる相談をすべて聞こうとすれば、それこそ、親戚縁者の方々の関係の話から財産にまつわる話まで、何時間も聞かなければ到底、無理でしょう。

 しかし、それは赤の他人でもあり、一サービススタッフには到底、背負える話の内容ではありません。

 ですから、そんな重い責任を背負わない予防線として、私達は判を押したように介護者の方に「それは、大変ですねぇ」などと紋切り型の同情をしてしまっているのでしょう。

 ただ、これはどうすればいいのかというと結構、難しい問題のようにも思います。というのも、では、何でもかんでも、私達のような援助職が話に首を突っ込み、介入すればそれでいいのかというと、そうでもないからです。

 利用者やご家族からしてみても、馬の合う援助職、合わない援助職とさまざまであり、どの程度まで私的な悩みを打ち明けられるかというのはケースバイケースだと思うからです。」

 「そうですね。それは、私もそう思います。介護者にしてみても、一人ひとり求めるものは違うでしょうし。ただ、少なくとも私自身は、そういった深い介入をしてほしいと思っています」

 こんなやりとりを、そのご家族といたしました。正直なところ、鋭い所を点かれたなと思いました。そして、では、今後、援助職としてどのようにしていけばよいのだろうか、と考えあぐねました。その結果、仕事という意識が自分の中にあり、そこに責任を感じてしまうからこそ、専門外の所へ立ち入ることが怖いのだろうなという結論に思い至りました。

 逆の見方をすれば、専門的な立場という特殊な立場に逃げることにより、自分の保身をしようとしているのだなと思いました。

 その意味で、先のご家族の要望に応えるには、私達援助職は「専門家」という鎧を脱いで、普通の一市民という観点から、もっと介護者や老人に関わっていかなければならないのだと考えるに至りました。
 忌憚ないご意見をいただきましたNさま、ありがとうございました。
※ご意見など、ありましたらお聞かせください。

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