排泄と認知症

人の体は単純化するとちくわのような筒になると医学関係の本などには書かれています。つまり、口から食べ物が入り、肛門から出ていく。人体いや生命とはつきつめればそういうものになると。考えてみればアメーバのような単細胞生物も栄養を取り込み、それを排出することで生きていますから、そのようにいえるかもしれません。

 そして、このことは生命にとって「食べて、出す」という行為がどれほど根源的で重要な営みであるかを物語っているように思われます。

 しかし、ご家庭での介護の場などでは案外、「出す」方、つまり排泄には意識がいかない方もいらっしゃると感じています。「食べる」方は大体の方が他人の目にふれる所でされていますから、食べていなかったり、何かを残していたりすれば簡単に気付きます。

 しかし、排泄はトイレという人の目に付きにくいところで行われますし、他人がまじまじと観察するのも失礼な気もして食べることに比べ、関心が向かいにくいのではないでしょうか。

 もちろん、この排泄は当人が何日も便秘で苦しみを自覚しており、誰かに相談できればいいのですが、例えば認知症があったりすると、その辛さそのものをうまく伝えることができません。生理的で生命として根源的な苦しみを感じてはいるのに、それを誰にも伝えられず、どうすることもできない。そうなれば誰だって発狂しそうになってしまうと思います。

 施設などでありがちな例では、尿意や便意をなんとなく感じ、イスから立ち上がったものの、自分が何のために立ち上がり、どこへ行こうしているのも分からず、ただ、不快感があるために歩きまわり、それが時に「徘徊」などと呼ばれてしまったりすることです。さらに、その歩き回っている理由が「空腹」が原因である場合もありますが他人にはなかなか分からないことですから、本人の不快感だけがエスカレートして時には、誰かとトラブルになってしまったり、ちょっとしたハプニングに対し激高したりと興奮がエスカレートしてしまったりすることもあります。

 それでも、おしっこの場合はまだ便秘のように出なくなることは多くはなく、トイレに行けずともパンツの中で出てしまったりもします。しかし、便はおしっこのように簡単に漏れることもありませんから、トラブルがなかなか解決せずにこじれてしまうことが少なくありません。
 その意味で介護施設などでは、こまめに「体に入った量」と「体から出た量」の記録を取り、その方のバイオリズムの把握に努めます。それが、ご本人の認知症の症状や精神的な安定に非常に関係することが知られているからです。
 その意味でご家庭などでも、認知症などが進んでこられた方には食事やトイレの記録を取ることをおすすめします。
 裏面は本間がご家族でも簡単に記録できるように作成した排泄用の記録用紙です。もし、気が向かれたらコピーしてご利用ください。

 排泄のことは書き出すと非常に長くなってしまいますので、今回はこの辺で。


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