介護という「他人事」の難しさ

 介護の難しさと辛さは、「自分の問題」ではなく「自分以外の人」の問題だということが大きく関係していると思っています。

 例えば、トイレ一つとってみても自分のことであれば、いつ行きたいかが分かります。もらしてしまったら、それも分かります。後始末をどうしたいかも自分のことであれば(当たり前ですが)自分で考え、どうするかが分かります。ところが他人の介護となると、これらがすべて分かりません。「トイレに行きたいのか、どうか?」「我慢できるのかどうか?」「後始末をどうしたいのか、どうか?」「便秘で苦しいのか、どうか?」それらすべてが分かりません。

 そこで、相手が自らの考えをきちんと(介護者の事情もふまえて上で)表現してくれれば、まだいい方です。しかし、意識面での低下や失語などがありご自分の意思を正確に表明できない場合には、介護者の負担が大きくなってきます。相手の考えや気持ちを確認したり、状況を観察しなければなりません。どうすればいいのか分からない場合などはストレスになりがちです。

 仮に相手の意思がわかったとしても問題が解決しない場合もあります。相手が「お尻を拭いてほしい」と思っていても、こちらが疲れ果てていると、それも難しくなります。それでも相手がお尻を拭いてほしい、と思っていることが分かっている。でも、それをできない自分がいる。すると、そんな「自分を責めてしまう」もう一人の自分が出てきます。すると、今度はそんな自分の内なる声がストレスになります。良心の呵責(かしゃく)に責められストレスを感じることになってしまいます。

 自分のお尻が汚れていても「ま、いいか」と自分が考えれば、それですみますが、介護は自分のことではないだけにことがややこしくなってしまいます。

 更に私たち介護支援専門員(ケアマネ)や介護サービススタッフの視線も気になることもあるでしょう。介護関連従事者が何気なく質問した「オムツ交換をどのようにされていますか?」という質問が、まるで介護者を責めているように感じてしまわれることもあると思います。
 そのような「自分以外の人」の問題であるがゆえの難しさ。それが介護というものをしんどくさせている一つだと考えています。それこそ、きちんとやろうと思えば際限がありません。終わりのない無限地獄のようなもので、真面目にやろうと思えば思うほど、自分の首をしめかねません。

そのような状況に陥らないためにも、介護では「趣味」や「スポーツ」等で「自分」の時間を持つことが、とりわけ重要だとされています。
 まして介護は育児と違い「望んで、高齢者の要介護状態」に遭遇したわけではありません。「介護がしたくて」介護者になられた方はまず、いないと思います。介護されたくて要介護状態になられたご本人もいらっしゃらないと思います。
 それでも、生活の中に「介護」があるのは現実です。となると、後はもう介護者の方がいかに、それと付き合うか。そこに問題があるということだと思います。その想いは十人十色です。
 「親から温かなケアを受けて育ったから、それを返したい」と思われる介護者の方もいらっしゃるでしょう。「ケアというケアを受けなかったから、温かいケアをする気になれない」という方もいらっしゃるでしょう。「介護はやってもいいけど、他の家族も協力すべき」「自分だけに介護を押し付けるのは許せない」など等、様々な想いがあって当然だと思います。そして、それら一つ一つの感情や想いに正解はないはずです。自らの胸に手を当て、感じたものが唯一の真実のはずです。感情や感覚に不正解はありません。
 
 その「自分だけの真実」を発見し、それに即した「自分なりの介護」。それができればいいのだと思います。そして、そのためにまず大事なことは、「介護に関わる本当の自分の気持ち」を自覚し、そこから介護と付き合っていくことだと思います。
 そして、私達、介護支援専門員は、そのような「介護者としての本心」を発見するための相談や面接も行っています。ご家庭でお話になりにくい場合には、電話連絡の上、事務所へ起こしください。いつでもお話はうかがわせていただきます。お気軽にどうぞ。