絶望にこそ、寄り添いたい

こんにちは。本間です。今回は少し湿っぽい内容です。

2年6か月程まえに当メルマガ読者であるケアマネの方から次のメールをもらいました。




今、私は今日の一日、生きているのか死んでいるのかわかりません。
3月11日で止まってしまいました。
私の1日は朝5時に起き、市役所に新聞貰うため2時間並びます。
(略)
何をするにも時間がかかります。
ここはゴーストタウンです。
(略)
仕事も出来ないのでお金が底をつきました。
これが兵糧責め…南相馬を助けて下さい!

その後、何度かメール交換しましたが、1年ほど途絶えていました。
そんな折、昨年、平成24年の夏、またメールが届きました。まだまだ辛さが癒えない文面がそこにはありました。

そして、今年の春、またメールをいただきました。
「南相馬の仮設住宅で、それでもがんばって生活されている高齢者の方々がいる。その方々のインタビューをしてほしい」と。
一瞬、戸惑いました。これまでのようなスタイルが通じるのか、と。

ぼんやりと自分の中に「介護と棄民」という言葉が浮かんでは消えていました。

ところで「○○療法」、「○○セラピー」と業界新規参入者はにぎやかにいいます。でも、「療法」という言葉の立ち位置は「病気を治す」という立ち位置で極めて医療的なものです。それで助かる者へは熱心に努力しますが、一切、希望のない人には・・・?

医療の高度化、全能化は「治らない人」「不治の病」や老い、認知症を切り捨て、絶望に追いやってきた負の側面もあります。でも、「ダメでもいいから」と無力でも、ただ、側にいるだけでも、と絶望の中でも「立ち去らずに、側に居続けた」のが介護の側面としてあると思っています。

実をいうと、そんなことを言っている私こそが介護に救われた存在でもあります。

かつて、私は絶望の淵で生きていた時期がありました。自分で「自分」を棄てて生きていました。そんな自暴自棄な私ですら、介護という仕事は受け入れてくれました。じいさん、ばあさん、そして職場の同僚達は受け入れてくれました。

徹底的な肯定感とでもいいましょうか。「ダメでもいい」「ダメだからこそ見捨てない」といった価値観に救われたような気がします。

(介護の仕事って、何かから挫折した経験や大きな喪失体験をした人の割合が多いと実は密かに思っています。三好春樹氏しかり和田行男氏しかり最近では六車由美氏しかり)

およそ右肩上がりの思想とは真逆の、次元の違う価値観が介護福祉には、あったように思います。

医療が「効率優先」の、「右肩上がり」の、「希望」、「夢」、「勝利」といったような前向きな価値観と同調しやすいのに比べ、介護福祉は「無駄」で「右肩下がり」で「よくはならない」後ろ向きでアンダーグラウンドな側面と同調しやすいと思っています。

でも、そんな介護福祉にしか取り扱えない領域がやはりあるように思うのです。医療が苦手とする、いえ、全能感の強い医療であるがゆえに苦手とする分野が。無力で非力で丸腰の介護福祉だからこそ、なしうる領域が。

それは、強いていうと、「絶望にこそ、寄り添いたい」と思うベクトルのようなもののような気がします。無力であるがゆえに、同じ無力で、無気力になっている者を見捨てられない、という思いのような気がします。(医療でも一部、行われていますが報酬は安い)

闘って勝って行ける人は、そのまま行けばいいでしょう。だけど、闘うことすらできず、ただ、打ちのめされ続け、棄てられ続け、踏みつぶされ続ける人生もある。

そんな「絶望」を、時に「効率優先」の、「右肩上がり」の価値観は否定する。足手まといだからと切り捨て、自分たちとは違うものだとしようとする時がある。宗教がある国では神にすがることもできるかもしれませんが、この国ではそれも難しく自殺の異常な高さに影響を与えているのではないでしょうか。

奇しくも七年後に、「効率的で右肩上がり」的な目標がこの社会には誕生しました。同じく「効率的で右肩上がり」なことが大好きなマスメディアはもろ手を挙げて、これに賛同しています。

同じ空間にいる3人のうち、二人が楽しく盛り上がれば盛り上がるほど、残された一人は孤独と絶望を味わうでしょう。同じ国にいて希望のある者達だけが盛り上がれば盛り上がるほど、同調できない地域の者たちは絶望感を大きくすることでしょう。

私にはオリンピックに盛り上がる報道を見る一方で、どうしても取り残されることを心配するフクシマはじめ多くの避難所の方々の存在がちらつきます。一方で楽しそうな顔をしていればいるほど、その陰の陰鬱な顔をした、絶望の淵で声すらあげることをためらっている人の事が気になってしまうのです。

もちろん、オリンピック選手にはがんばってほしい。いえ、そんなこと言わずともがんばられるでしょう。

でも、私自身は介護福祉をかじったものとして、絶望にこそ、寄り添いたいと思うのです。

というわけで、ようやく念願かない、福島県は南相馬市へ取材に行ってきました。決して思い通りには行かない、スマートではない南相馬行きでしたが、これから少しずつまとめていこうと思います。(おわり)


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