福島南相馬2016.01「デイから見た老人たちの生活と復興」

前略

本間さん、この頃、私は昨年、(ケアフェスの際に)東京に行った時の事を考えることが多々あります。

東京と南相馬では、こんなに差がある事なのでしょうか? “元気”が全然違います。私が東京でお会いした方は全員元気な方でした。あの元気を南相馬に持ってこれないか?と思います。

南相馬では未だに震災の後遺症が続いています。

Aさんは
復興住宅に移り住んだばかりの方で、ご自宅は津波で流され、介護ベッドに寝ていたご主人は家と一緒に津波に流され、自分も一緒に…という方。担当者会議の時、言葉が私と同じくたどたどしい方でした。でも、デイ利用されると言葉が回復されました。

Bさんは、
10か所くらい日本中を転々とし、先月、南相馬・小高区(避難指示解除準備区域と現在は呼ばれているようです)の自宅に住んでいます。

サービス担当者会議(ケアチームによる打合せ。以下「担当者会議」)の時、わざわざ福島市の事業所からケアマネは2時間かけて、小高のBさん宅に来ました。

(なぜ、自宅のある南相馬のケアマネが担当しなかったとのかという理由は)まだ、小高が「準備区域」なので、住まいとしての「居宅ではない」との理由で、南相馬のケアマネではなく、福島市のケアマネという訳でした。あくまで小高での滞在は福島市役所に許可を得、小高に「一時宿泊」している扱い。

自分の家に住んでいるのに「仮住まい」という事のようです。頭の悪い私は理解に苦しみました。

南相馬・飯館村のCさんは
南相馬市に今月、住んだばかりの方で、この方も何カ所か転々とされていた方です。2ケ月前に市内の病院に通院中にいなくなり、捜索願いが出たことがある方です。
担当をするまで「知らない人ばかりいる所には行かない」とデイ利用を拒否していました。でも、ご利用されると、同じ仲間がいると分り、現在は休まずご利用されています。

Dさんは
要支援の方。北陸、宮城などを家族と共に転々とし、2年前に現在の自宅へ一人で戻り、住んでいらっしゃいます。今まで「自立」で要支援にもなれなかったので、介護保険は、ご利用できず一人暮らしでした。
今回、要支援になり、介護保険にようやく繋がったのです。
担当者会議の時、家族は宮城県から来てくださいました。

Eさんは、
震災前から一人で住んでいましたが、Eさんの北側の豪邸は、娘夫婦が暮らしていました。昨年、一人で南相馬に戻ってきました。

Zさんまで行っても同じような話は尽きる事はありません。

本間さん、これが南相馬の現状です。
5年経っても何も変わりはないのです。

復興住宅等に入居し、住む場所が変わり、現状が見えにくくなっています。東京のようにもっと介護の力で介入できればよいと思います。

要支援・要介護にならなくても、細やかに民間の力が入って行ければと思います。東京では、介護業界は飽和状態になっているように感じました。

せっかく、介護の仕事に再就職しても、他職種でも同じ様に人員不足が出ていますので、お金が安い介護職より、お金が高い他職種に流れます。これが首相のいう、介護離職をゼロにするという事なのでしょうか?

東京で私と一緒にお話をして下さった方が南相馬に事業所等を開設してくださったら、助かり喜ぶと思います。本間さんの言葉をお借りしますと“ビジネス・チャンス”が南相馬には沢山あると思います。ないのは、“マンパワー”と“若者のエネルギー”と“知恵”です。

と、私は新年早々に愚痴を言ってしまいました。
それではまだまだ寒さが続きます。お体を大切にご自愛くださいませ。

草々