◆投稿「介護福祉士等によるたんの吸引等」について
こんにちわ、ヨッシーです。
今年の介護保険法の改正では、痰の吸引などの医療行為が介護福祉士も可能になるとのことです。
名称独占としての「介護福祉士」から行為が認められるというお墨付きを頂くのですから前進の一歩かもしれません。
でも、僕は名称独占(資格保有者しか名乗れない)として位置づけられていただけで、それ以外は全く手付かずで、置き去りにされていたことに憤りを感じています。
僕は、現在は有料ホームにいますが、それまでは療養型の病院や特養で働いていました。
病院では、医療行為として看護師のみにしか行為はできませんでしたが、特養では「準医療行為」として簡単な指導を受けて実際に行っていました。
考えてみれば、特養における看護師は医療行為を適切に行えるほどの人数は常にいません。
僕が勤めていた特養の看護師などは半年おきに辞めていくし、派遣で来る看護師も契約期間も終わらないうちに変わっていくなどは当然になっていました。
もちろん、介護福祉士ができる吸引は「口腔吸引のみ」で咽頭の手前にある「唾液や痰を取るだけ」です。
摘便に関しても、「肛門前部の排便の摘出のみ」ですから通常の排泄介助と変わらないように見えます。
しかし、これらの「準医療行為」を行っても、名称独占の介護福祉士には何の手当てもありませんでした。
それどころか「できて当然」と一蹴されるのが関の山でした。
療養型病院に勤めていた時は、ヘルパー2級でした。
同僚のほとんどは、介護福祉士を目指して働いていましたが、なぜか途中で準看護師の試験に切り替える人が目立ちました。
友人は、介護福祉士試験を合格したのに準看護学校に入学して今は、療養型病院で働いています。
「介護福祉士になっても、看護師の服従ばかり。こんなんじゃやっていけない」
そんな言葉を嫌というほどに聞いてきました。
今回の法改正は、介護福祉士の身分格上げとしての一つかもしれません。
でも、僕には形式だけのようにしか感じられません。
いくら、痰の吸引や摘便が行えたとしても、肝心の介護職としてのリーダー性は形骸化(形だけ)したままです。
ヘルパーから介護福祉士になったとしても、喜びはつかの間。
常に介護の現場は医療視点の重要さだけが問われてきて、介護福祉士は名称だけで宙に浮いていたのではないだろうか・・・。
介護保険のスタートと共に、雨後の筍のようにできた介護福祉士養成専門学校は現在かなり減ってきています。
自然淘汰されたというよりも、介護福祉士の仕事の内容がわかってきて、学生にしてみれば、魅力などは感じられなくなっているのでしょう。
介護福祉士は介護のプロかもしれませんが、「プロとしての介護」って、形として表されるものではないと思います。
介護も看護も出発点は、ナイチンゲールです。
看護と介護でヒエラルキー(階級制・上下関係)を巡っているだけでは、介護の現場に魅力ある人間は集まりません。
吸引や摘便ができるからって、いい介護福祉士とは限りません。それならば、介護する家族以上のものはないのですから。
名称独占の介護福祉士の行き詰まりを、付け刃(つけやきば=その場しのぎ)で補うだけの医療行為への進出。
忘れていけないのは医療行為ができるから介護ができるのではなく、医療行為にできない介護の可能性を追求することではないだろうか。
そう信じていきたい。(ヨッシー)