南相馬がふる里と大きな声で言えるように

レイです。
春に満開の花が咲くため。
南相馬の未来を壊さないように願い書いています。

朝、仕事場である、仮設に行ってみるといつもと違う風が吹いていた。
「…あっ」涙が出そうになった。

一緒に働いていた、アツシくんが介護職員養成講座受講のため、先月で退職したのである。

今、南相馬では看護、介護のマンパワーが極端に不足しているため、受講料の約 15万円がただなのである。

アツシくんは震災時 親と一緒に福島市に避難していたが、1年前に南相馬に戻り 仮設に一人で住み、私と一緒に働いていた。

最初は仕事そっち除けで、メールに夢中になっていた。アツシくんを仕事が出来なかった頃の自分と思い 声掛けや仕事の意味など時間をかけ一つひとつ丁寧に説明していった。

今では私より良い仕事をするようになった。

26と云う若さのため 吸収が早かった。

周りは私をアツシくんの「お母さん」と呼ぶようになった。

「お母さんじゃ無い!私の子供は平成生まれなんだから!!」とムキになったりもした。

「ぞそっぺ」(=ザラザラとした食感) の方言が分からない時、スマホで検索する行ために、おばあちゃん達を笑いの渦にしてしまった。

さすがに「腰巻きかぶり」は有りませんでした。(これは、かかあ天下の意味で私も分かりませんでした)

色々あったからか、寂しい気持ちになっている。

私は、自分の子供の事を思い出した。

当時ハタチで浪江で働いていたため 仕事を失い震災後東京で働く事になった。

その後 主人も郡山、宮城などに仕事を求め南相馬から離れたため 家族はバラバラになってしまった。

家に一人残され寂しくなり「子供が東京に行き一人残され寂しい!」と、津波の被害者の友人に話してしまった。

「レイさんよりもっと悲しい体験している人は大勢いますョ」その言葉にハッとした。

言ってはいけない言葉を言ったと思った。

それから、私は、空の巣症候群になった。

震災前は、「ジャニーズ系でイケメンなのョ」と、言って親バカぶりを発揮していた。

あの日から私の気持ちの中ではハタチのままである。

また、私の肌に冷たい秋風が吹いていく。

私はここに子供達が帰って来れるように…

南相馬がふる里と大きな声で言えるように居続ける事にしている。

私の大事な子供達よ!東京には、本当の空があるのですか?(高村光太郎の智恵子抄より)

追記

アツシくんは時々私に勉強を教わりに、また実習で使うエプロンにゼッケンを付けて欲しいと来てくれます。皆さんの応援で半歩前に進む事が出来ました。

次の半歩は自助努力で進みます。一歩の歩みは遅いですが、これも南相馬の宿命と思い歩んで行きます。