2019/07/07

合法的に介護の質を低下させるアリバイとしての『科学的介護』



◆愚策にまい進する厚労省の不思議



数年前から厚生労働省が「科学的介護」という言葉を使い始めた。
「いずれ、どこかの学識者や専門家集団などが、そのバカバカしさを指摘して頓挫するだろう」とタカをくくっていた。

しかし、きちんとした批判をする学識者も専門家集団はいつまで経っても登場していない。
(この点で、本当にわが国の介護関係の学識者の非力っぷりにはめまいがする)

加えて、私は、基本的に厚労省の官僚は優秀だと思っている。
だから、すぐに、その愚策に気付き、中止するだろうとも思っていた。

しかし、いつまで経っても中止する気配がない。
それどころか、厚生労働省はどんどん、科学的介護の事業にお金をつぎ込み、形を整えようとしている。

「なぜ、明らかな愚策を続けるのだろう」という疑問が私の中で膨らんでいった。

◆そもそも科学的介護とは


ちなみに、科学的介護とは、介護保険における要介護関連データやリハビリデータ、診療や介護記録などのデータ解析を元に効果的な介護を提供しようとするものである。(図参照)




今はやりの言葉でいえば、介護関連のビッグデータをAI(人工知能)で解析し、介護を効果的に提供していく、というような構想なのだろう。

なお、図で示されている科学的介護の効果というのも、3メートルの歩行能力が20メートルに増えた、という狭小な医療モデルそのものである点にも留意しておきたい。

◆科学的介護はコストパフォーマンス上、不可能


ところで、なぜ、科学的介護が愚策かというと、それが介護の質を向上させることは絶対にありえないから【重要】お申込み後、すぐに折り返しメールが届きます。

届かない場合、必ず「迷惑メール」フォルダやこちらのサイトをご確認ください。

だ。

対象領域を人体という狭い領域に限定した医療でさえ、まだまだ、完全なエビデンス(根拠)は確立していないはずだ。

まして、老人と介護者との<関係性>や<複雑な環境因子>の中で行われる介護、という広く深い領域を還元主義や実証主義といった科学的手法で分析できるはずがない。

それだけじゃない。要介護の認定を受けている高齢者の7割以上は何らかの認知症を有しているというデータさえある。

私には、厚労省の取り組みは、まるで<乳幼児への科学的な保育や育児>といった浅薄なもののように思える。

「老い」という自然現象、そして、「老いとの人間関係」という非定形なものを科学的に分析することは愚策以外の何物でもない。

いや、莫大な費用、コストと時間を掛ければ、いつか完全なデータ分析を行うことは、理論上は可能だろう。

しかし、限られた予算の中で、まっとうなコストパフォーマンスを図ることは不可能だ。

◆科学的介護というアリバイ


にも関わらず、厚労省は科学的介護を進めようとする。

「科学的介護などにお金をつぎ込んでも、介護の質は向上するどころか、低下するだけなのに、なぜ、止めようとしないんだろう」という疑問が浮かんできた。

そして、やがて一つの答えが浮かんできた。

「合理的に介護の質を低下させるためのアリバイ作りとして、厚労省は『科学的介護』を確立しようとしているのではないか」と。

少し論理が飛躍しているように思われるかもしれないので、そう思うに至った背景を説明しよう。

◆アリバイが必要な背景


わが国の介護問題は、今後、2025年から2040年へと介護を必要とする高齢者が増える一方で、それを支える生産者、労働者人口が減少することは、人口統計上の自明のことである。

様々な未来予想が困難といわれる中で、人口予想に関しては、かなり正確な予想が可能といわれており、これは疑う余地のない所だと、認識している。

一方で、これまでのわが国の介護の方針とは、「個別ケア」や「利用者本位」「自立支援」を中心とした「介護の質の向上」を盛んに訴えてきた。

その延長線上ゆえの、「ユニット型」や「個室ケア」「ケアプランに基づく個別ケア」や「個別機能訓練」など、とかく「手間暇」のかかるサービスを選択してきた経緯があったのである。

そして、それは介護保険制度が構想された1990年代においては、低い経済成長や人口減少社会の問題は表面化していなかったための産物でもあった。

しかし、2025年から2040年を迎えるにあたり、このままでは、大量に発生する団塊世代と団塊ジュニアの要介護者を支えるだけの介護サービス、すなわち介護職員はいない。

介護ロボットの開発など、到底、間に合うはずもないし、介護技術のない外国人を頭数だけそろえて現場に投入せざるをえない状況になる可能性も少なくない。

どうしたって、これまでのような介護サービスの質の維持は無理なわけである。介護の質は低下せざるをえないわけである。

◆厚労省には少子化問題と同様に介護問題を解決できない


しかし、これまでさんざん、制度上、「介護の質の向上」を言ってきた国としては、口がさけても「介護の質を低下させていい」等とはいえない。

それに代わる「方便」「アリバイ」が必要になる。「馬鹿には見えない王様の着物」といったような、大衆を納得させる論理が必要となる。

その点で、医学的データなど、狭い範囲のデータを集積し、少しADLが向上したような結果を示せば、「科学的根拠に基づく介護」と大ミエを切って、PRすることができるようになる。(データや統計不正がお得意な厚労省ゆえ、どんなことだって可能だろう)

それが、かなえば、医学的データを出しやすい通所リハビリや訪問リハビリといった医療系サービスに特別な加算を与え、優遇することも簡単である。

「それ以外の介護福祉系サービスは、科学的根拠もないから給付費削減してもいいんじゃないか。いっそ、介護保険から外して、住民主体のサービスでも間に合うんじゃないか」といった財務省などの考え方とも結びつきやすくなるだろう。

さらに、「根拠データがあるから」という理屈で<個室を廃止して、相部屋の復活>や<質の低いセンサーロボットの大量投入>や<センサーだらけの体のいい身体拘束>、<ケアマネジメントを廃止し、措置制度の復活>なども合法化していくことも可能だろう。

反証データがない限り、根拠を持っている側が勝つのは、世の道理だから。

そう考えれば、科学的介護を推進する厚労省の姿勢に納得がいく。

そして、冒頭でも書いた通り、本プロジェクトをまともに批判する学識者、職能団体などは(私の知る限りは)存在しない。

だから、この愚策はブレーキを掛けられることもなく、泥沼へ進んでいくだろう。少子化問題が何十年も前から指摘されていたにも関わらず、厚労省は解決できなきなかったのと、同じ様に。

<以下、加筆>
と、ここまで書いて、現場で「少しでもよりよい介護を」と努力されている方々には、救いのない内容となってしまったことに気付いたので、抵抗策を考えてみる。

現場の人間に、国が行うようなビッグデータなどの活用ができるわけがない。

となると、シンプルで単純だが、アンケート調査しか抵抗策はないように思う。

老人は、家族は、介護サービスは<どんな介護が『良い介護』と思うのか>。

そんなアンケートの集約なら、さして難しくはないはずだ。

少なくとも、3メートルだった歩行機能が20メートルに延伸することが、良い介護だなんて結果には、ならないだろう。

2019.0707 本間

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