介護保険をめぐる論議の中で、訪問介護の「生活援助=家事的支援」を老人の自立の役に立っていないとして削減しようとする論調があります。
それに対し、本当にそうなのか、という疑義を現場実践の観点から書いてみようと思います。
◆ 軽度者
介護保険での認定において、以下のような状態例の方を「軽度者」と呼ぶことがあります。
【要支援1】
日常生活上の基本動作については、ほぼ自分で行うことが可能であでるが、日常生活動作の介助や現在の状態の防止により要介護状態となることの予防に資するよう、手段的日常生活動作において何らかの支援を要する状態
【要支援2】
要支援1の状態から、手段的日常生活動作を行う能力がわずかに低下し、何らかの支援が必要となる状態
【要介護1】
要支援2の状態から、手段的日常生活動作を行う能力が一部低下し、部分的な介護が必要となる状態 ※
◆
上記、軽度者を中心に介護保険の給付が見直されようとしています。
特にやり玉に挙がっているのが要支援などの比較的、軽度な方に対して訪問介護を提供する「介護予防型」のサービスです。
この論は今に始まったことではなく、下記のように過去の官僚の口からもあからさまに発言されていました。
◆ 繰り返される見直し論議
宮島老健局長
「政策仕分けの話ですけれども、介護予防を中心に議論されましたが、私がその場で申し上げたのは、介護予防ということだけではなくて、訪問介護サービス全般がお世話型になりがちである。掃除、洗濯、料理中心である。そういう在り方であっては自立支援という目的に合わないのではないかということを申し上げたということでございます。」(2011)
◆
訪問介護の家事支援的な内容の援助を目の敵のようにしているのは厚労省だけではありあません。財務省もそうです。
以下は、財務省が「身体介護」のような直接援助的なケアは老人の役に立っているけど家事支援的な援助はあまり役に立っていない、と言っています。(PCのみ)
◆ 脱線
ちなみに上記の財務省の資料は非常におかしな点があります。
それは介護予防という枠組みには「身体介護」という援助内容はないにも関わらず、その言葉を出してきているところです。
一般の方にしてみれば「身体介護」というと直接、体に触れるような排せつケアや食事ケアを想起されるでしょうが、実はそれだけではありません。
一切、本人の体に触れることなく、しかし、本人が転んだりしないように側で見守りながら一緒に家事を行ったり、生活動作の見守りを行うことも介護保険では「身体介護」という部類に属しています。
そのように身体介護といっても非常に複雑多岐な内容に渡る上に、そもそも要支援の方向けの訪問介護には、「身体介護」とか「生活援助=家事的支援」などの区分けは設定されていないにも関わらず使っています。
その背後には「生活援助=家事的支援」と対立的な概念として官僚が考えているからこその結果なのかもしれません。
◆
上記のような観念から厚労省は「生活援助=家事的支援」は老人の自立=社会保障費の給付の削減に寄与しないとして、その論証のためのデータを作成してきました。そして、無駄な給付を減らそうと訪問介護の援助内容を細切れに分解し、無駄な時間は決して許さないとばかりに法定の援助時間を減らす制度改正を行いました。(PCのみ)
◆ 訪問介護の実際
しかし、私はこのような施策が根本的に在宅介護、訪問介護の実態を理解していないことからくる大きな誤解だと感じられてなりません。
その理由を綴ってみたいと思います。
そのために、まずは以下の訪問介護員さんの書かれた文章を読んでください。
◆ ずっと関わってる利用者さんが 最近日にちと時間の感覚が鈍ってきた。
朝の6時半に電話が入る。
『今日はなんで来なかったの? もう勝手にご飯食べたよ!』
一度そんな事があったので本人と相談して24時間表示で日付表示も付いた大きめデジタル時計を買った。
『こりゃー見やすい』と喜んでいた。
一ヶ月ほどして朝6時過ぎに同じような電話。
『〇〇さん、今は何となく、朝みたいな気がするよ』と私。
『え!何?! そんな事ない カーテン閉まってる。起きてすぐ朝はカーテン開けるから! 6時なっても弁当屋も来ないし、自分(私)も来ないし 勝手に食えって事やと思って、いま肉 焼いて食うた!もうええわ!』
『すごいな、肉 焼いたん?もうええわって言われても私 行くよ。その時計、夜は18時になると思うんやけど』
『え!? 6時になってるよ。だから夕方やのに 誰も来ないと思って肉 焼いたんや!』
『6時やったら 朝やで、壊れてなければ 夕方やったら18時になるから』
『そーいえば そない言うてたな、え? 朝か?今?』
『うん。朝やと思うけど。今から行こうか?』
『いや自分も忙しいのに、来なくていい。朝と夜 間違えるようになったか…情けない…』
『朝でも夜でも 最近明るいから間違えてもいいけど、朝から豪華やな焼肉って』
『ハハハッ 朝か~じゃあ 自分 来てくれるのか?』
『行くよ~焼肉 食べさせて~』
『もう ないわ(笑)』
昼に行ったら 朝の出来事は覚えていて、自分でもなんで朝と夜を逆さまに思ってしまうのか わからんと
『なんでかな~』と二人で考えて『わからんな』とあきらめる
とりあえずあれ?っと思ったら24時間の時計 見て それでもあれ?っと思ったら電話してもらう事にした。
いろんな事 忘れる93歳
一人で買い物に出て、買い過ぎてふらついて転倒、救急車で『〇〇さん(私)呼んでくれ あの子が僕のこと一番わかってる!』と救急隊に電話させる93歳。
◆ 平均的な生活援助の利用像
上記は私が主宰しているメールマガジンの常連投稿者・おかめさんの投稿の一部抜粋です。
上記のような比較的、軽度と呼ばれる老人は在宅介護の現場では珍しくありません。
この文書の中で訪問介護が提供している援助は大半が「生活援助=家事的支援」だと思われます。
介護認定の度合いも重くはない要支援から要介護1くらいの方かと思われます。
そして、このような比較的、軽度な老人の場合の訪問介護の利用は週に1~3回が平均的です。
そう、先にみたような国が目の敵にしたいような援助内容がこうした現場ではないかと思います。
そして、それが直接的に本人の状態を改善しているとはいえないでしょう。
しかし、です。直接的には状態の改善つまり自立支援に役立っていないのかもしれませんが介護福祉は実はそれほど単純なものではありません。
◆
というのも、先の例の老人の場合や厚労省のデータでも示されているように軽度な方々で在宅の訪問介護を利用されている方は大体、週に1~3回の利用です。しかも、1回につき1~2時間前後がいい所。一週間で積算すれば5~10時間がいいところでしょう。
原則、「生活援助=家事的支援」は一人暮らしの方でないと利用できませんので、利用者には独居者が非常に多い。
彼らは、その他の5~6日間、時間に換算すれば週に160時間くらいは誰の援助も受けずに一人で暮らしているわけです。
しかし、軽度といえども介護の認定を受けている方々ですから、どこかしら生活がうまく回っていない点が出てくる。だから、週に何時間か訪問介護が来てくれた時にまとめて仕事を頼む。自分のできないことを頼む。
その援助があるからこそ、なじみの訪問介護員との暖かいコミュニケーションを通じた生活支援が利用できるからこそ「また、一週間、(訪問介護が来ない日も)がんばろう」と思える。残りの日を独力でがんばって乗り切っている方が多いのではないかと考えます。
そんなふうな利用のされ方が実は非常に多いのではないかと感じています。
◆
それに対し、厚労省は社会保障費の無駄として切り捨てようという論陣を多用します。
さらに訪問介護のような移動サービスの移動コストを下げては、というような観点から老人集合住宅のようなものを作り、そこへ集中的に介護職を派遣するような施設と家をミックスしたような施策の案も検討しているようです。
本当にそれで社会保障費が削減するのでしょうか。
◆ それは本当に社会保障費削減になるか
老人が人間関係の変化や場所の変化、役割の変化などにことのほか順応性が弱く、そうした「変化」を機に認知症が進んだり、老人性のウツ、心身症などに発展することは介護の業界では誰でも知っていることです。
老人のメンタリティに寄り添えるプロの訪問介護をなくしたり、住まいを一方的に変更することで、それらのリスク要因を挙げれば結果的に認知症、老人性うつ病の増加から医療費へと跳ね返ってゆきます。医療費は介護福祉よりも格段に高額だというのに、です。
もしも、先の例で老人から訪問介護を取り上げれば生活面で回らなくなる以前にメンタルな面で老人は萎え、抑うつ的になるのではないかと思います。
彼らの大半は気軽にかかわれる友人なども近所にいないし、自分で出かける程の体力もない方々です。
援助内容を取り上げられることよりも「人間関係」を取り上げられる方が(もしかしたら私たちも)辛いのではないかと思います。
◆
そもそも、介護保険制度が創設された背景には(下のリンク先のように)社会入院など、不条理に膨らみすぎた医療費を介護・福祉にソフトランディングさせることで安上がりにする目的があったはずです。(PCのみ)

その受け皿になるべき介護福祉の財源を減らして、今以上に受け皿を小さくしてどうしようというのでしょうか。
ますます、医療費削減ができなくなるのではないでしょうか。
まして、一人暮らしの多い都市部は老人の住まいも比較的、密集しており移動コストもそれほどかからないはず。民間の老人集合住宅を作ったところで独居の老人の多くは生活保護受給者で入居率も上がらないことも考えられます。
◆
誰も社会保障費を湯水のように使えとはいってません。
むしろ心配しています。
だからこそ、思うわけです。
介護福祉とは何なのか。
そうした現場の実態にもっと正しく目を向けて、今一度、慎重かつ丁寧な検証をするべきではないかと。
◆補足
訪問介護の家事的支援が自立に役立っていないとして先の制度改正では、家事的支援の削減がなされました。 (資料№P50。この資料では左下にある通り、n=5、つまり「5人」の数字を持って「統計データ」として国は使用しています。by藤原るか)

しかし、このように訪問介護の仕事を身体介護と生活援助と分けること自体に現場の訪問介護員からは多くの批判の声が上がっています。「そもそも、生活援助と身体介護など区分けはできない」と。
考えてみるに、たとえば訪問介護の同じように家の中で老人の生活を援助する形態にグループホームがあります。それは乱暴に言うと、認知症の方々が8~9人の集合住宅でシェアハウスのように共同生活を行い、それを介護職が援助していくものです。
そこでは入居者で一緒に食事を作ることもしますが、援助するのはそれだけではありません。それこそ、生活全般を見守り、声掛け、ともに過ごしていくスタイルの介護形態です。
しかし、その介護形態に身体介護や生活援助といった区分けはありません。
乳幼児の居宅で育児などに照らし合わせてみても簡単にわかることですが、手のかかる育児時に抱っこだけしていても無意味だし、離乳食や食事だけを作っていても無意味です。それらは渾然一体となって、合わさって育児の時間を形成しています。
このことからも、そもそも「身体介護・生活援助」と介護を区分けしようとした厚生労働省の価値観こそが訪問介護の生活援助をして、「お世話型」にせしめている、いや、そうしなければ在宅を支えられない介護形態にしてしまっている一因ではないでしょうか。誰しも、援助者が「訪問してくれるけど、すぐに帰ってしまう」と分かっていれば、普段、自分ひとりでできない事を集中的に、代行的に御願いしようと思うのは当然のことでしょう。
そのように介護、ケアを、時間で切り売りできうるものと考え、介護を現象面で細分化しようとする、その発想こそが訪問介護を「単なるお世話」にしてしまっているのではないでしょうか。(本間清文 2013.5/21)
それに対し、本当にそうなのか、という疑義を現場実践の観点から書いてみようと思います。
◆ 軽度者
介護保険での認定において、以下のような状態例の方を「軽度者」と呼ぶことがあります。
【要支援1】
日常生活上の基本動作については、ほぼ自分で行うことが可能であでるが、日常生活動作の介助や現在の状態の防止により要介護状態となることの予防に資するよう、手段的日常生活動作において何らかの支援を要する状態
【要支援2】
要支援1の状態から、手段的日常生活動作を行う能力がわずかに低下し、何らかの支援が必要となる状態
【要介護1】
要支援2の状態から、手段的日常生活動作を行う能力が一部低下し、部分的な介護が必要となる状態 ※
◆
上記、軽度者を中心に介護保険の給付が見直されようとしています。
特にやり玉に挙がっているのが要支援などの比較的、軽度な方に対して訪問介護を提供する「介護予防型」のサービスです。
この論は今に始まったことではなく、下記のように過去の官僚の口からもあからさまに発言されていました。
◆ 繰り返される見直し論議
宮島老健局長
「政策仕分けの話ですけれども、介護予防を中心に議論されましたが、私がその場で申し上げたのは、介護予防ということだけではなくて、訪問介護サービス全般がお世話型になりがちである。掃除、洗濯、料理中心である。そういう在り方であっては自立支援という目的に合わないのではないかということを申し上げたということでございます。」(2011)
◆
訪問介護の家事支援的な内容の援助を目の敵のようにしているのは厚労省だけではありあません。財務省もそうです。
以下は、財務省が「身体介護」のような直接援助的なケアは老人の役に立っているけど家事支援的な援助はあまり役に立っていない、と言っています。(PCのみ)
◆ 脱線
ちなみに上記の財務省の資料は非常におかしな点があります。
それは介護予防という枠組みには「身体介護」という援助内容はないにも関わらず、その言葉を出してきているところです。
一般の方にしてみれば「身体介護」というと直接、体に触れるような排せつケアや食事ケアを想起されるでしょうが、実はそれだけではありません。
一切、本人の体に触れることなく、しかし、本人が転んだりしないように側で見守りながら一緒に家事を行ったり、生活動作の見守りを行うことも介護保険では「身体介護」という部類に属しています。
そのように身体介護といっても非常に複雑多岐な内容に渡る上に、そもそも要支援の方向けの訪問介護には、「身体介護」とか「生活援助=家事的支援」などの区分けは設定されていないにも関わらず使っています。
その背後には「生活援助=家事的支援」と対立的な概念として官僚が考えているからこその結果なのかもしれません。
◆
上記のような観念から厚労省は「生活援助=家事的支援」は老人の自立=社会保障費の給付の削減に寄与しないとして、その論証のためのデータを作成してきました。そして、無駄な給付を減らそうと訪問介護の援助内容を細切れに分解し、無駄な時間は決して許さないとばかりに法定の援助時間を減らす制度改正を行いました。(PCのみ)
◆ 訪問介護の実際
しかし、私はこのような施策が根本的に在宅介護、訪問介護の実態を理解していないことからくる大きな誤解だと感じられてなりません。
その理由を綴ってみたいと思います。
そのために、まずは以下の訪問介護員さんの書かれた文章を読んでください。
◆ ずっと関わってる利用者さんが 最近日にちと時間の感覚が鈍ってきた。
朝の6時半に電話が入る。
『今日はなんで来なかったの? もう勝手にご飯食べたよ!』
一度そんな事があったので本人と相談して24時間表示で日付表示も付いた大きめデジタル時計を買った。
『こりゃー見やすい』と喜んでいた。
一ヶ月ほどして朝6時過ぎに同じような電話。
『〇〇さん、今は何となく、朝みたいな気がするよ』と私。
『え!何?! そんな事ない カーテン閉まってる。起きてすぐ朝はカーテン開けるから! 6時なっても弁当屋も来ないし、自分(私)も来ないし 勝手に食えって事やと思って、いま肉 焼いて食うた!もうええわ!』
『すごいな、肉 焼いたん?もうええわって言われても私 行くよ。その時計、夜は18時になると思うんやけど』
『え!? 6時になってるよ。だから夕方やのに 誰も来ないと思って肉 焼いたんや!』
『6時やったら 朝やで、壊れてなければ 夕方やったら18時になるから』
『そーいえば そない言うてたな、え? 朝か?今?』
『うん。朝やと思うけど。今から行こうか?』
『いや自分も忙しいのに、来なくていい。朝と夜 間違えるようになったか…情けない…』
『朝でも夜でも 最近明るいから間違えてもいいけど、朝から豪華やな焼肉って』
『ハハハッ 朝か~じゃあ 自分 来てくれるのか?』
『行くよ~焼肉 食べさせて~』
『もう ないわ(笑)』
昼に行ったら 朝の出来事は覚えていて、自分でもなんで朝と夜を逆さまに思ってしまうのか わからんと
『なんでかな~』と二人で考えて『わからんな』とあきらめる
とりあえずあれ?っと思ったら24時間の時計 見て それでもあれ?っと思ったら電話してもらう事にした。
いろんな事 忘れる93歳
一人で買い物に出て、買い過ぎてふらついて転倒、救急車で『〇〇さん(私)呼んでくれ あの子が僕のこと一番わかってる!』と救急隊に電話させる93歳。
◆ 平均的な生活援助の利用像
上記は私が主宰しているメールマガジンの常連投稿者・おかめさんの投稿の一部抜粋です。
上記のような比較的、軽度と呼ばれる老人は在宅介護の現場では珍しくありません。
この文書の中で訪問介護が提供している援助は大半が「生活援助=家事的支援」だと思われます。
介護認定の度合いも重くはない要支援から要介護1くらいの方かと思われます。
そして、このような比較的、軽度な老人の場合の訪問介護の利用は週に1~3回が平均的です。
そう、先にみたような国が目の敵にしたいような援助内容がこうした現場ではないかと思います。
そして、それが直接的に本人の状態を改善しているとはいえないでしょう。
しかし、です。直接的には状態の改善つまり自立支援に役立っていないのかもしれませんが介護福祉は実はそれほど単純なものではありません。
◆
というのも、先の例の老人の場合や厚労省のデータでも示されているように軽度な方々で在宅の訪問介護を利用されている方は大体、週に1~3回の利用です。しかも、1回につき1~2時間前後がいい所。一週間で積算すれば5~10時間がいいところでしょう。
原則、「生活援助=家事的支援」は一人暮らしの方でないと利用できませんので、利用者には独居者が非常に多い。
彼らは、その他の5~6日間、時間に換算すれば週に160時間くらいは誰の援助も受けずに一人で暮らしているわけです。
しかし、軽度といえども介護の認定を受けている方々ですから、どこかしら生活がうまく回っていない点が出てくる。だから、週に何時間か訪問介護が来てくれた時にまとめて仕事を頼む。自分のできないことを頼む。
その援助があるからこそ、なじみの訪問介護員との暖かいコミュニケーションを通じた生活支援が利用できるからこそ「また、一週間、(訪問介護が来ない日も)がんばろう」と思える。残りの日を独力でがんばって乗り切っている方が多いのではないかと考えます。
そんなふうな利用のされ方が実は非常に多いのではないかと感じています。
◆
それに対し、厚労省は社会保障費の無駄として切り捨てようという論陣を多用します。
さらに訪問介護のような移動サービスの移動コストを下げては、というような観点から老人集合住宅のようなものを作り、そこへ集中的に介護職を派遣するような施設と家をミックスしたような施策の案も検討しているようです。
本当にそれで社会保障費が削減するのでしょうか。
◆ それは本当に社会保障費削減になるか
老人が人間関係の変化や場所の変化、役割の変化などにことのほか順応性が弱く、そうした「変化」を機に認知症が進んだり、老人性のウツ、心身症などに発展することは介護の業界では誰でも知っていることです。
老人のメンタリティに寄り添えるプロの訪問介護をなくしたり、住まいを一方的に変更することで、それらのリスク要因を挙げれば結果的に認知症、老人性うつ病の増加から医療費へと跳ね返ってゆきます。医療費は介護福祉よりも格段に高額だというのに、です。
もしも、先の例で老人から訪問介護を取り上げれば生活面で回らなくなる以前にメンタルな面で老人は萎え、抑うつ的になるのではないかと思います。
彼らの大半は気軽にかかわれる友人なども近所にいないし、自分で出かける程の体力もない方々です。
援助内容を取り上げられることよりも「人間関係」を取り上げられる方が(もしかしたら私たちも)辛いのではないかと思います。
◆
そもそも、介護保険制度が創設された背景には(下のリンク先のように)社会入院など、不条理に膨らみすぎた医療費を介護・福祉にソフトランディングさせることで安上がりにする目的があったはずです。(PCのみ)

その受け皿になるべき介護福祉の財源を減らして、今以上に受け皿を小さくしてどうしようというのでしょうか。
ますます、医療費削減ができなくなるのではないでしょうか。
まして、一人暮らしの多い都市部は老人の住まいも比較的、密集しており移動コストもそれほどかからないはず。民間の老人集合住宅を作ったところで独居の老人の多くは生活保護受給者で入居率も上がらないことも考えられます。
◆
誰も社会保障費を湯水のように使えとはいってません。
むしろ心配しています。
だからこそ、思うわけです。
介護福祉とは何なのか。
そうした現場の実態にもっと正しく目を向けて、今一度、慎重かつ丁寧な検証をするべきではないかと。
◆補足
訪問介護の家事的支援が自立に役立っていないとして先の制度改正では、家事的支援の削減がなされました。 (資料№P50。この資料では左下にある通り、n=5、つまり「5人」の数字を持って「統計データ」として国は使用しています。by藤原るか)

しかし、このように訪問介護の仕事を身体介護と生活援助と分けること自体に現場の訪問介護員からは多くの批判の声が上がっています。「そもそも、生活援助と身体介護など区分けはできない」と。
考えてみるに、たとえば訪問介護の同じように家の中で老人の生活を援助する形態にグループホームがあります。それは乱暴に言うと、認知症の方々が8~9人の集合住宅でシェアハウスのように共同生活を行い、それを介護職が援助していくものです。
そこでは入居者で一緒に食事を作ることもしますが、援助するのはそれだけではありません。それこそ、生活全般を見守り、声掛け、ともに過ごしていくスタイルの介護形態です。
しかし、その介護形態に身体介護や生活援助といった区分けはありません。
乳幼児の居宅で育児などに照らし合わせてみても簡単にわかることですが、手のかかる育児時に抱っこだけしていても無意味だし、離乳食や食事だけを作っていても無意味です。それらは渾然一体となって、合わさって育児の時間を形成しています。
このことからも、そもそも「身体介護・生活援助」と介護を区分けしようとした厚生労働省の価値観こそが訪問介護の生活援助をして、「お世話型」にせしめている、いや、そうしなければ在宅を支えられない介護形態にしてしまっている一因ではないでしょうか。誰しも、援助者が「訪問してくれるけど、すぐに帰ってしまう」と分かっていれば、普段、自分ひとりでできない事を集中的に、代行的に御願いしようと思うのは当然のことでしょう。
そのように介護、ケアを、時間で切り売りできうるものと考え、介護を現象面で細分化しようとする、その発想こそが訪問介護を「単なるお世話」にしてしまっているのではないでしょうか。(本間清文 2013.5/21)

45分未満、45分以上の生活援助の線引きされたときに、真剣に考えなかったケアマネの責任もあります。生活援助、週3回も入る必要性がどこにあるかわかりません。安否確認なら、他の方法があります。ただ。介護保険外になると、決まりがないから、やりにくいし、ケアプラン料が発生しないからってのもあります。給付管理しなくても、何らか支援続けている居宅のケアマネもいる。給付管理が発生しないから、包括、ブランチ、が、全部カバーできない。
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