2015/08/19

長文コラム・神戸カジノ型デイの規制を考える


◆ニュースコラム
神戸:介護保険のアミューズメント型デイサービスの規制 
http://goo.gl/oH90Rw


疑似通貨を使用しポーカーやマージャン、ルーレットなど本格的なカジノを模したサービスを利用者に提供するデイサービスがあるそうです。

女性スタッフはやや色っぽい制服を着ており、通常のデイサービスよりも男性の利用者が多いと聞きます。
こうしたデイを全国的に展開している法人があり、その指定申請について、この度、神戸市が「指定しない」という条例を作る動きを見せています。(パブリックコメント受付中)
http://goo.gl/oH90Rw

理由は「射幸心をあおる可能性があるし、公金を投入している介護保険の給付としてふさわしくない」というのが本旨のよう。

個人的な意見を述べるならば、「アミューズメント型デイを規制するのではなく、アミューズメント型デイを生み出した『制度』そのものを、どうにかしないとトカゲのしっぽ切りで終わる」という所でしょうか。その理由を書きます。

さかのぼれば介護保険が始まり十数年。これまでに何度かの業界的なニュースが思い浮かびます。

具体的にはコムスン事件に、お泊りデイの制度的な規制、サービス付高齢者向け住宅の囲い込み問題に地域密着型サービスの伸び悩みなどが挙げられます。

これら問題群の背景には、すべて、営利企業を公的分野に参入させたことが関係しています。いわゆる「新自由主義」「ネオリベラリズム」といわれるものです。

この制度下で介護事業を展開させている以上、形を変えて、新たな規制対象が登場するのは当たり前のことです。モグラたたきゲームのごとく、一つをつぶしても、また別のものが形を変えて出てくるのです。

表面的な対処療法として、アミューズメント型デイサービスだけ規制しても無意味なのです。

そんな危機感から、私は以前に「介護の現場がこじれる理由」を上梓しました。さわりはこんな感じです。

かつて措置制度下でのデイサービスでは、在宅介護を支援するという目的の元、介護スタッフは利用者の家族や在宅での介護状況に気を配ったものだった。

時に介護家族にオムツ交換のやり方を教えたり、介護のアドバイスなどを積極的に行った。少しでも、本人が家で過ごせるように、家での居場所が落ち着くように支援の方向性を考えたものだった。

それが今はどうだろう。他のデイサービスと競争原理の土俵に上に置かれ、サービス事業者はいかに高齢者を「デイに引き留めるか」という方向ばかり重要視するように変わってしまった。

家族の介護法がどんなにおかしくってもかまわない。家族が介護を負担に感じ、利用者を家から「追い出したい」と思えば思うほど利益に綱がる市場原理。

サービス事業者は家族の介護負担に目を向けない方が、より自分達のデイサービスへ利用者が来ることにつながる。


さらにはデイが通所の機能を放棄し、「施設」に変化しつつある所も目立ってきた。

介護サービスと介護者の利害が一致し、老人が金品のように「家」から「施設・デイ」へ移される。そして、多くの介護サービスでは要介護が重くなればなるほど老人の単価=介護報酬も上がる。

老人の状態が悪くなればなるほど儲かる制度になっている。それは、劣悪な環境でまともなケアも提供しない悪徳事業者を生み出す温床にもなっている。


宿泊事業を行うデイサービス事業所が悪いと言っているのではない。ただ、もっとも自分の意見などを訴える力が弱い情報発信弱者の声を代弁する機能も設けないままに家族の論理とサービス事業者の論理にサービスの利用を委ねられる現行のシステムが問題だと言いたい。
(以上)
そして、解決策となる考え方も同書に記しています。
その考え方は、少なからず、最近の地域密着型サービスの制度改正内容などに垣間見られます。
ですので、本稿ではあえて触れません。

しかし、神戸市の対応にも非常に問題があると思え、それについて今回は書いておきます。


神戸市の見解のように、アミューズメント型デイに対して眉をひそめる気持ちは分ります。
かつて同じ兵庫県の三木市が生活保護受給者に対しても、「パチンコ禁止」を趣旨とする条例を出しました。

それに似たものすら感じます。

しかし、日頃、介護サービスのあり方について「個別性」を求めている行政が「条例」という形で一律に、特定のサービスを規制することはどうなのでしょうか。

「髪を染めている人は不良」といったステレオタイプな考え方を想起します。
「オムツゼロだから良い介護をしている」とか「施錠をしていないから良い施設だ」なども一種のステレオタイプで、「介護」を浅く、狭く見てしまっています。

「浅く、狭い枠の中だけでしか介護をやってはならぬ」と規制されれば、介護サービスは浅く、狭い安っぽいものにならざるをえません。
(同様の理由で市町村主催「介護コンテスト」等にも反対です)
しかし、介護はそんな狭く、浅いものではありません。
深くて無限でとらえどころがないくらい深淵です。

そこのところをよく理解した上で行政は介入するべきであり、最低限、学識者、有識者、実務者の意見を踏まえて条例制定するべきです。

ちなみに、このアミューズメント型デイに関して国は介護予防の模範として、そのホームページ上で持ち上げています。
http://t.co/a1XykU3di5
神戸市は「国の掲げているのは『適切に運営されている』から大丈夫」といった見解をしめしていますが、肝心の「適切」の定義がなされていません。
非常に矛盾を感じるものです。
現場の問題に制度が追いついていません。

ちなみに、私がアミューズメント型デイに対して気になる点に触れておくと、「ボケが進んだり、介護が重くなってカジノができなくなったら、老人はどうするんだ?」ということです。

これは、昨今、流行のリハビリ特化型デイにいえます。

これら比較的、元気な利用者を対象としたデイは、あえて入浴サービスを提供していなかったり、送迎車両にリフトを付けず、重度になれば利用を(やんわりと)断ったり、他のデイサービスを紹介したりするところがあります。

しかし、厚生労働省は要介護度が重いからという理由で利用を拒否することを禁止しています。
サービスターゲットをピンポイントに絞り、そのターゲットから外れたら体よく利用を拒否することは、実際には介護の重さを理由にした利用拒否であり、指導されてもよい問題だと思います。

「介護の量が重くなったからウチでは見れませんから、他所へ行ってください」とサービス事業者自らが言うことは、『介護』の否定であり、要介護老人の否定につながります。
老人、家族ともに折角、慣れた人間関係を壊され、また、一からやりなおしです。
老人介護や認知症介護には「なじみの人間関係」が重要なことは、口酸っぱく言われているにも関わらずです。

利用を「否定」された老人の気持ちは、どんなものか。
そんな利用者本位の視点を忘れてはいけないと思います。

おわり

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