南相馬の風を少しでも皆さんに感じて頂きたいそんな気持ちで書いています。
今日は私の誕生日です。
1週間前からサヤバーの事が頭の中に出て来ます。
゛どうして私はあの日、普段はあまり行かない福島市にいたんだろう゛
゛どうして あんなに頭が良く 仕事が出来、優しいサヤバーが死ななきゃいけないのだろう!゛
また考えてしまいます。
サヤバーは私が老健施設で働いていた時の先輩で仕事が遅い私をかばってくれました。
今でもサヤバーとの会話を思い出します。
私は宮城県に避難していたが1週間後にサヤバーや外の安否情報のメールが届き、あまりにも悲しい文字ばかりで布団の中で涙を流しました。
その後 自宅に戻った6月に 線香を上げに行く為にサヤバーのご主人との話し合いがスムーズに行きませんでした。
「線香を上げるだけなのに拒否しているのでは?」と思う様になった頃ようやく念願が叶い玄関でチャイムを鳴らしてもなかなか出て来ては貰えませんでした。
しばらく待つと、ドアが開いた瞬間に
要介護2位のご主人がいました。
(一緒に働いていた頃)サヤバーが何故 早く帰りたかったのか。
職場はこの地域よりも給料が高いため 遠くまで通勤していたのか…頭の中を巡りました。
サヤバーは大津波が来ると分かっていても仕事を最後まで投げ出さず、逃げなかった。
「私もう駄目かも知れない!!」とサヤバーからメールの送信。「直ぐ逃げる様に!!」と返信したが最後は見たかどうか?と友達は話していた事を思い出し、また眠れない日々が続きます。
今日は私の誕生日です。
何も出来ない私が生きている価値があるのか!
もっと、もっと優秀な人や生きたかった人が死んでしまって…
今日、海に行き手を合わせ、南相馬が少しでも前の様に戻る姿を見守って下さいと…
今日の海は風も無く穏やかでした。
追記
本当は、もう一つ どうしたら良いか分からなかったこと。
仕事の途中で投げ出し自分だけ逃げたと言う。内容です。
私は逃げなかったから良いとか 逃げたから悪いのではなく。
防災についてもっと真剣に考えてるべきだと思っています。
自分の身を守る事は一番大事な事なので…
助けられた自分だけが生きている事はとても辛いと思います。
震災の時逃げなかった方が多くいらっしゃいました。
でもその方を助けようと、海岸に行き命を落とした方が多くいらっしゃいます。
私はまた分からなくなりました。
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