久しくご無沙汰をいたしまして失礼を重ねております。
南相馬に住む老人はまだまだ困難が続いております。
生活環境の悪さがますますひどくなったように感じます。
住む所を変えると認知症になると言いますが、南相馬に戻るまで5~8箇所、(居場所を)変えているのに、まだ、移らなければならない老人が増えています。
「え? 北海道に?!」
「そう。北海道に行けって言われた・・・」
これは仮設入居者のお話です。
若い世帯が戻らず苦渋の選択で施設入所を考えても南相馬では、「数百人、800人待ち」とも言われております。どうしても入所する場合は他県となる訳です。
施設入所が無理ならデイサービスと思ってもマンパワー不足で難しくなってきています。
人材不足はケアマネ、認定調査員も同様です。
私は義父を介護サービスに繋げるために南相馬での現状を肌で感じることができました。
義父の事を本間様、聞いていただけますか?
震災前は普通に生活できていた2人ですが、原発爆発後、宮城に避難させ、戻っても無理矢理、家に閉じ込め認知症悪化に拍車を掛けた義父。
2度、救急搬送され、入院している間に、認定調査時、義母は義父に「噛み付かれ、殴られた」事など暴力行為を多数、説明したため、動ける義父が要介護5と認定されました。
次はケアマネの初回訪問。
ここまでは何とかスムーズに進み、次は担当者会議ですが、開催前に他人の訪問を極端に拒む義母は話を壊してしまいました。
1回目の救急搬送後に包括に訪問依頼をしましたが、義母は門前払いをしてしまう。その間に義父は極端にADLの低下、認知症の悪化を起こしてしまう。
義母の介護は“力任せの介護”のため、父は母を噛み付き、殴ったり暴力をふるうため、母は介護疲れを起こしているようだった。
ケアマネに何度か介護サービスに繋げるように依頼するが依頼した時点で50人超を受け持っているのに、その上、新規の依頼が7件あるとのこと。
それだけではなかった。サービスに繋がらない理由は。
他人嫌いの義母は電話でケアマネを怒鳴り付けていたのだった。この事を私は後々、知ることとなりました。(ケアマネには申し訳ないと思いました)
二人共危ない!(刃物で刺したりするんじゃないか。そんなことを考えてしまった。)
私は仕事を休んででも動こうと思った。父が多動のため、家のドア、窓、すべてに錠を取り付けた話を聞いたからです。「座敷牢」と私は思いました。
◆
ケアマネ不足は県へ相談かと思い、電話をしましたが「個別案件については、県では対応できません。南相馬市での対応となります」。
私は「ケアマネが極端に足りてないですヨ。これが南相馬の現状です。」と食い下がるが「個別案件には・・・」と同じ事を繰り返すばかりで電話を仕方なく切り、今度は市の高齢福祉課へ行きました。
「今のケアマネさんが動いていただけないのであれば、新しいケアマネさんに御願いするということも出来ますヨ」と市内の事業所一覧を渡されました。
私が担当ケアマネを母自ら断った事を話したためでもありますが、「どのケアマネも忙しく、繋がらないでしょう」との言葉と一緒に用紙を持ち帰りましたが、電話をする気はなく、今のケアマネも変えたいとは思いませんでした。しかし、義姉が知り合いのケアマネ依頼に成功し、仕方なく前のケアマネを丁寧にお断りしました。
そんなわけで、今、新しいケアマネになりサービスに繋がっているというわけです。
介護疲れを起こしている母も今回はサービスを受け入れる事しかなかったようでした。
いろいろとありましたが、今は介護サービス利用にたどりつけましたので、何とかなってます。
今、南相馬に戻る老人が増えてきています。
住み慣れた土地が良いのでしょう。
他、市町村の老人も移住して来ています。
自分の所に帰れなくても少しでも近い南相馬に!と考えているようです。
震災前は元気でも今は、義父のようになった方も多数おります。
何度もお話しましたが、マンパワー、施設が不足しています。
私はこの現状をたどたどしい私の言葉で、少しでもお話する機会があれば話しております。
でも力不足で全然、足りておりません。
ケアマネ不足を何とかするのは県の仕事です。
県は南相馬を忘れているのでしょうか?
サービスを提供する人が少ないと、少ない人数で多くの人を対応しなければならないので当然、質も低下します。
老人を支える専門家(マンパワー)にも余裕が必要です。当然、雇用環境の改善を県に望みたいです。
“南相馬で暮らしたい!”
そんな自然の、当たり前の事ができないのです。また、避難の続きは老人たちにあるようです。
次回は私のことを書いてもよろしいでしょうか。
いろいろと変化がありましたのでお知らせ致します。
思いつくままに書き並べました。
乱筆ご容赦くださいませ。
かしこ
3.23
レイ
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