3/3「納得」のいく支援を求めて

東京都・澤田ルミ子さん(作業療法士)
特別養護老人ホーム勤務
(聞き手・本間清文-2014.6)


※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。

「納得」のいく支援を求めて

 私の勤める介護施設へ、ご家族が面会に見えたり、行事の時に訪問された時には、なるべくご親族の立場や役割がどうあるべきかを模索しながらサポートしたいと思っています。

 例えば、最期まで身内の介護を施設に丸投げしたまま終わってしまったら、家族は「何もしてあげられなかった」という負い目を抱き続けてしまうのではないか、とも思うのです。無理のない範囲で、できうる範囲だけでのいいので、最期に老親への「想い」を何らかの形や行動で示せると、その後、遺族は納得して死を受け入れられるのじゃないかなと思うのです。「終わり良ければすべてよし」といいましょうか。

 また、直接、何か具体的なことができなくても、家族やそのお孫さんが、自分の親や祖父母の元を訪れるだけでも意義深いと思います。小さいお子さんなどには、どこか記憶の片隅に大切な思い出として残り続けるのではないかと思うのです。

食事介助も家族が少しでもできるなら、やってもらうのも大切だと思います。そうすることで、家族としても「納得」ができるでしょうし、そんな時間を持っていただければ、その間、私達、ケアスタッフは、他の利用者へゆとりを持って接する時間を確保できるようになります。

 さまざまな施設の状況や取り決めなどもあり、どこでも簡単にできることではないかもしれませんが、介護施設が家族から介護を丸ごと背負い込んだり、また、家族が丸投げしてしまうような状況はどちらにとっても不自然ではないかなという疑問もあります。
老いて行く側も、自分の老い、生き様を子供、孫達に見せることが、一つの勤めのようにも思うのです。

 そういえば、以前、勤めていた施設で、こんなことがありました。何気ない一瞬のゆらぎのようなエピーソですが、勤務していた施設での話です。

 とある息子さんの親御さんの具合が悪化し、もう先行きも長くない、ということで施設からはご子息にお話しておりました。

 普段は仕事に忙しく施設に顔など出されない方でしたが、その時はさすがに最期と思われたのか仕事着のままで施設まで駆けつけられました。
 親御さんのお部屋に案内すると既にご本人は意識もなく声掛けにも反応できません。

 私達スタッフはご本人へのケアなど、あれこれとやること、できることが沢山ありますが、普段、顔を見せる余裕のなかった息子さんにはそれはできないことでした。娘さんやお嫁さんなど女性の身内なら体をさすったりすることも自然とできることかもしれません。でも、男性でもあるから、それも難しかったりもするでしょう。ただ、目を閉じておられる親御さんのベッド脇でたたずんでいるしかなく、場持ちのしない、居心地の悪さを感じておられるようでした。

 少しでも会話などができればまだしも、何の反応も示さない親御さんとの対面は息子さんにとって、必ずしも達成感や充実感が得られるものではなかったかもしれません。だからといって、折角、来たのに、顔を一目見て、すぐ帰ることもできない。息子さんの後ろ姿を見ていて、どこか、そんな所在無さを感じ一声、掛けました。

 「タバコ、お吸いになられますか。あそこに喫煙所ありますから、よかったら使ってくださいね」と。
 しばらくして、息子さんは喫煙所へゆき、タバコを吸われました。その時、何を考え、何を感じておられたのかは知りません。あえて声は掛けませんでした。

 でも、それからしばらくして、事務所へ一声掛けてからお帰りになられました。タバコ一本分のわずかな時間だったかもしれませんが、心の整理をつけられる時間を持っていただけたのではないかなと思っています。

介護を通じた関係構築

 そして、私達、スタッフからご家族へ、的確に利用者の情報を発信することも大切だと思っています。

というのも、普段、あまり施設へ来られないご家族はお年寄りの日々のことを案外知らないものです。だから、そのままにしておくと気後れや不安もあり、家族は折角、親に会いにきたのにうまく接することができなかったりするかもしれない。

 それではせっかくの時間がもったいないですから、例えば、食事介助をしようとしてくださるご家族には「今日は朝からあまり食欲ないみたいでしたよ。○○だったら、お好きなようで、沢山、召し上がっていました」等と橋渡しをしていくことも大切だと思います。

 そして、利用者の家族だけでなく、施設のある地域や町会、企業などにも開かれた関係も構築できると素敵だろうなと思います。

 実際に以前、勤めていた施設では年に1回、大きなお祭りがあり、そこには町内会や子ども会、消防団や他の民間企業などとの多くの交流を持っている所がありました。

 病院や介護施設というのは普段は困っている人達を助ける救助側の機関かもしれません。
 でも、いざ災害などが起きれば、大勢の入院患者、入所者を避難させたり命を守っていくためには、時には私達が地域の方々の力を借りて助けてもらわなければならないかもしれません。その時のためにも普段からの関係構築は大切だと思っています。

まずは、自分の足元から

 私たちの仕事は制度上は、健康状態や日常生活上の様子、身体機能面などからの評価や書類作成、コメントを記録したり、報告することが求められています。
 でも、そうした「業務」にとらわれ過ぎると本当にこの仕事はつまらない、やりがいのない仕事になってしまう危険性を秘めていると思います。

 書類や制度と関わるのが本業なのではなく、「人」と関わる仕事なのですから、そこを大切にしていかないと単なるビジネスになってしまう。すると、仕事が面白くなくなり、やる気がなくなってしまいます。

利用者であるお年寄りを通じ、そのご家族の想いや人生に少しでも触れ合えていくことが、この仕事の醍醐味じゃないかなと思うのです。そうした部分を大切にすることがとても大事な仕事だろうと思うのです。

そのためには、自分の人生や一日一日の生活を大切にしなければならないと思っています。他人の「人生」を大切に扱う仕事だからこそ、まずは自分の足元をしっかりとすることが大事だと思います。

 お年寄りや家族が人生の終盤に差し迫る時間を過ごしている貴重な時間のなかで、援助者である私自身が、きちんと地に足をつけた生活を送っていないと、やはり利用者・家族の心に届く言葉は出てこないと思うのです。

 単に食事摂取量や健康状態、作業訓練やリハビリの結果などの表面的な伝達事項を一方的に伝えるのではなく、相手に奥深く届き関係構築につながる言葉を交わせるようになっていきたいです。

 そのためには、平凡ですが自分自身が、規則正しい生活を送り、バランスの整った食事をおいしく食べ、体を動かし、家族を大切にする。そんな当たり前のことが、とても大切だと思い、日々、地に足をつけて生活するように努めています。

 実は、今年に入ってから隣県の農家へ定期的に手伝いに行き、野菜作りをしているんです。土の匂いをかぎ、日差しや風を感じながら野菜作りをしていると、とても充実した感覚を味わえます。採れる野菜も新鮮でおいしいし、とても元気になれますよ。

 そんなふうに一日一日を踏みしめるように生きているので、これから先、どのような出会いや発見、出来事があるのかと楽しみにしながら生きています。(おわり)