2/3送る側と逝く側の役割

東京都・澤田ルミ子さん(作業療法士)
特別養護老人ホーム勤務
(聞き手・本間清文-2014.6)

※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。


送る側と逝く側の役割

 祖母の老化が目立って進んできたのは平成20年頃。それまで、祖母は長男家族と一緒に住んでいましたが、介護がいよいよ大変になり特養ホームへ入所しました。

 その後、少しずつ老化は進み、娘である母や私のことも識別できなくなっていきました。
 「もう祖母と一緒に過ごせる時間も多くはないかな」と感じた年の大晦日、私と両親で祖母を私たちの家に一時外泊させようと話し合いました。
 母たちは、かなり老いが進んだ祖母を連れてきて、看れるだろうかと不安そうでしたが、私は後悔したくなかったので強く勧めました。

 自動車に乗った祖母は、やはり現状の認識ができなかったのでしょう、昔なじみの道や町並みを見ても感慨なく、また、私達自身のことも認識できていないのか、どこか借りてきた猫のように大人しくしていました。
 そして、日中は何とか過ぎたのですが、夜に祖母は錯乱した状態になりました。
 深夜に突然、叫び始めたのです。「火事だ~! 逃げろ~! 火事だ~! 逃げろ~!」と泣き叫びながら。

 私は翌日の元旦が仕事であったため、早く寝ていたのですが、その騒ぎで起こされました。家の中のありとあらゆるものをひっくり返し、叩き起こし、大騒ぎでした。完全に精神的に錯乱しているような状態で何を言ってもダメでした。

話が通じないから、添い寝をしようとも試みましたが、それもまったく駄目。何を話しても、何を聞いても、一切駄目。まったく興奮状態から抜け切れません。何十年も昔、祖母の周りで火事騒ぎ、ボヤ騒ぎがあったので、その記憶が突然、蘇ったようでした。

 結局、翌日、私が仕事から帰ると、祖母は家におらず元の特養ホームへ戻っていました。母と父で話しあった結論だったようです。

 それから半年後のことでした。祖母が特養ホームで息を引き取ったのは。
 私は既に上京していたので死に目には会えませんでした。でも、施設に入る前から、母も私もできる限りのことは祖母にしているつもりでいたし、最後のお正月は施設ではなく家で過ごさせてあげられたという思いもあり、後悔はありませんでした。
 また、祖母を一生懸命、看ている母の背中をみながら、理想的な関係だなと思ってもいました。


これは親戚の法事の祭壇の写真です。いつか私も両親を送る側の役割が回ってくるかもしれません。その時のために、今のうちに、その記録を撮っておこうと思ったのです。

故郷はまだまだ昔ながらの風習が残る地域です。法事などもかなり派手に行います。どこに何を飾ったり、お供えするかという細かい決まりがあります。

また、身内が亡くなった後は一周忌、三回忌、七回忌と法事を繰り返し、故人を偲びます。五十回忌くらいまで、それを続けるのです。集まった遺族は、その都度、故人を思い出し、昔話に花を咲かせます。人としては死んでしまいますが、故人はずっとずっと遺族の心の中で生き続けてゆきます。

 自分が死ぬ時もやはり、あのように周りから大事にされ、死を弔ってもらうのだろうなと思います。ですから、さほど老いや死も忌み嫌うべき対象にもなりません。死ぬということが、さほど大きな不安でもないように感じます。

そうした人間的なつながりや老いや死に対する考え方、捉え方がうまくできていないことが、命を粗末に扱うような事件や事故とも関係しているのかなとも思います。