1/3 自立生活運動との出会い

板垣 明江さん
社会福祉法人恩賜財団済生会支部山形県済生会
「済生会愛らんど地域包括支援センター」
(聞き手・本間清文)
※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。


福祉へのきっかけは親戚

 高校生の頃、親戚にうつ病になった人がいました。
 小さい頃から私をかわいがってくれた、私にとっても大事な人の一人でした。
 家が近かったこともあり、しょっちゅう遊びに行ったり、出入りしていたんですが、ある時、その親戚宅の修羅場に居合わせてしまいました。
 うつ病である当人が「自分は死ぬんだ!」と身内の者達に言い放ったのです。




 それまでどういう経過があったのか私はよく知りませんでしたが、身内の人達も長い葛藤の時期があったのでしょう、その言葉を聞くなり打ちひしがれたように地べたに座り込んでしまったのです。
 私は動転しまって、何と言っていいか分らず戸惑うばかりでした。
 そして、当人は本当にその場から飛び出し行方不明になってしまいました。


 方々を探し回り、警察に届け出も出そうかと迷ったりしましたが、どこにも見つかりません。
 最悪の場合、死んで発見されるかなと思いました。
 すると、ふいに当人が電話を掛けてきました。
 電話口で「死ぬ」と言っており、親戚が必死に思いとどめるように説得していました。
 そして、その場はなんとか説得でき、家に帰ってきました。
 私も気になって足しげく訪れていましたが、親戚の疲労感がとても大きいもののように感じられました。見ていて、こちらまで辛くなるといいましょうか。


 その親戚宅には子供がいなかったこともあり、行きがかり上、私も時々、頼まれごとや相談を受けることになりました。
 そんな中で、うつ病の方を支える家族のしんどさというのを身にしみて感じるようになりました。
 もちろん、うつ病の当人も大変なのは当たり前ですが、それに振り回される身内の人達も疲れ切った表情をしていて、なんとかしないとマズイんじゃないかと思うようになりました。


 その時の体験がずっと自分の中のどこかに残っていたんでしょうか、高校を卒業し、短大を卒業後、一度は販売店員になったのですが、福祉の方へ進路変更しました。それは、自分自身、これからの自分の方向性を考えていた時期でした。これからの自分の将来を考えた時、行き場所が見えなくなっていた時期でもありました。

 うつ病の親戚の家の相談に乗ったり、援助をしたりしているうちに、精神疾患などに対する知識欲求のようなものが出てきていました。
 「こうしたことを仕事にするのも手ではないか、精神障害の方々を支援することも自分の進むべき方向性の選択肢としてアリだな」とも思うようになりました。


 そこで、一念発起して福祉系の専門学校へ入学しなおしたんです。

自立生活運動との出会い


 専門学校では、自らの自立生活運動を精力的に展開している身体障害者の方々の補助とういう形で付き合わせいていただきました。


 そこで体験し、学んだことは自分の原点としてあり、今でも仕事で悩んだり迷った時にはふと、その原点に立ち返ったり、思い起こします。

 当時、障害者自立運動の世界では、名の通った方の介助や手伝いを通して、その考えや価値観を垣間見せていただきとても刺激的でした。当然のことですが、障害があっても健常者と同じようにお酒も飲むし、下ネタも喋ります。頭では分っていても体験としては分っていなかったノーマライゼーション的な世界観を身を持って教えていただきました。

 車いすの全国集会や自立生活運動の集会など、さまざまな運動にも同行させていただき、例え、寝たきりであっても、障害があっても「生きる」ということに真摯に向き合い、社会的な運動や発言をしていくことの大切さも学びました。「自分の足元ばかり見ないで、もっと、周りの世界を見ろ。そして、もっと横の世界に手を広げ、つながって行け」。当時、よく聞かされた言葉が印象深く残っています。


 その影響もあり、今も自分一人でも、全国の介護事業者や福祉のイベント、施設などへ見学に行ったり、参加しています。


 先日も北海道浦河町の統合失調症などをかかえた当事者の活動体「べてるの家」で行われている当事者研究を体験しに行ってきました。
 通常、研究というのは第三者が客観的に研究対象に向き合うものですが、当事者研究では精神障害者自身が、自らを研究対象とし、自己病名や対応策を考えたり、幻覚や妄想を発表するGM(幻覚のGと妄想のM)大会などが行われます。
 彼らと触れ合っていると、障害があっても、しぶとく生きていく熱意や想いを感じます。そのエネルギーや自己肯定感が刺激的で何回も見学に行っています。とても刺激的でした。


就職

 専門学校卒業後は介護老人保健施設に介護職として入職しました。
 ゆくゆくはケアマネジャーのような相談援助職になりたいと思っていたのですが、ケアマネジャーになるには現場の実務経験も必要でした。
 だから、そこで介護の現場のことも学ぼうと一生懸命、取り組みました。


 どんな介護職だったのかというと、あまり深くものを考えず、思い立ったら即、動くタイプの職員だったと思います(笑)。周囲のスタッフには、例えばナースコールが鳴らされても、そのコールの意味を考えて直ぐに対応せずに様子をみる人もいました。だけど、私はどちらかというと深く考えることなく、とりあえずコール先へ足を運ぶタイプでした。

 認知症の方に対しては、過度に丁寧すぎる言葉やくだけた言葉を使うのでもなく、ごく普通に、他の大人の方々に接するのと同じように接するようにしていました。若干、ゆっくり喋らないと理解できない人もいるので、それくらいはしていましたが。
 その後、デイサービスや在宅のケアマネジャーを経て、今は地域包括支援センターに勤めています。


インタビューメニュー
1/3 
福祉へのきっかけは親戚