2014/02/17

2/3 代々続く名家を守りたい奥さん

板垣 明江さん
社会福祉法人恩賜財団済生会支部山形県済生会
「済生会愛らんど地域包括支援センター」
(聞き手・本間清文)
※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。

代々続く名家を守りたい奥さん
 


 在宅のケアマネジャーとしての経験の中で思い出深いのは、ある名家に嫁がれた奥さんのことです。
 最初は、奥さんではなく御主人への関わりから始まりました。
御主人が要介護5という介護保険ではもっとも重い認定を受けていたのです。その御主人の定期通院の移動が難しいから介護保険を利用したいという相談だったのです。


 早速、訪問してみると、とても大きな敷地の家でした。
 地元で何代も続く名家です。子供はなく、そこに御主人と奥さんの二人だけで住まわれていました。
 大きな家は外見的には立派でしたが、中はとても老朽化し、荒れ果てていました。
 掃除や整理整頓がなされず、書類や段ボール箱が雑然とうず高く積み上げられ今にも崩れそうでした。
 万年床で布団もまったく干されておらず衛生的とは思えませんでした。大きな段差も多く、バリアフリーや手すりなどの配慮がまったくなされていない、介護が必要な老夫婦にはとても住みづらそうな家に見えました。


 そして、当初は、先にもいった通り、御主人の通院のことで相談に乗るために訪問をしていました。
 そちらは訪問介護の外出移動の介助などで比較的、スムーズにサービス導入から解決にいたりました。


 だけど、御主人の話のついでに、その面倒を看ている奥さんと話をしていると、どうも奥さんが普通じゃないことが分ってきました。 奥さんはここに嫁いで来られる前は女学校の先生をされていたそうで、見るからに生真面目な雰囲気が漂っていました。とても強い芯を持った感じの奥さんでした。
 でも、出されるお茶はいつも冷たくなっていました。お湯を沸かしていないことすら気付いていなかったのです。
 着ている服もよく見ると、洗濯をきちんとしていないものだったり、裏返しに着ていることもありました。三度のご飯もきちんと食べられず、病院で処方してもらった薬もきちんと飲めていないようでした。


 見るに見かねて奥さん分も要介護認定の申請をしたら、やはり認定がおりました。 
 さっそく、訪問介護(ホームヘルパー)の利用を勧めましたが「家事は自分でできているから大丈夫」と毅然と断られてしまいました。第三者的にみると、まったく大丈夫じゃなかったんですけど(苦笑)。でも、あまり、お節介を焼いて、相談に乗ろうとすると「私のことはいいから、夫のことだけ助けてくればいいの!」と怒り出します。プライドが高く、自分が誰かに助けてもらわなければ生活ができないことなど、とても認められるはずもないという感じでした。


 ヘルパーが駄目なら、看護師が訪問してくれる訪問看護もすすめて見たのですが、頑として受け付けません。


 一日中、どこへも行かず家の中にいてストレスがたまるだろうから、と自動車が送迎してくれる日帰り介護施設である、デイサービス(通所介護)をすすめたところ、なんとか、そちらは週2回、利用してくださるようになりました。そこでようやく、デイサービスに通う日だけは、服薬の確認を施設で行ってもらえるようになりました。


状態悪化


 それから3年程が過ぎた頃でしょうか、御主人が家の中で転び、骨折から入院してしまいました。結果的に御主人の食事や衛生面は入院先の病院で確保されるようになり、むしろ入院前より健康状態は落ち着きました。


 しかし、家に一人、残された奥さんの面倒は誰も見る人がいません。依然としてホームヘルパーの利用は拒み続け、通所介護に週2回程度、通っているだけでした。


ご親族に現状報告をしておく必要性を感じたので、親族に電話をすると「私だもこれまで何度も忠告したんだけども、まったく言う事聞いてけねくて(くれなくて)、お手上げ状態なんだ。ケアマネさんからいろいろ勧めてけろ」とのこと。以後、その御親族と私とで夫婦の今後の生活を考えていくようになりました。

警察へ電話
 
 その後、御主人の骨折が治り、退院の連絡が病院から私と親戚の方へ入りました。
 病院で主治医と奥さん、ご親戚と私で退院後の老夫婦の生活について話をすることになりました。
 医師から退院後、家にもどって二人での生活が可能かどうかを聞かれました。
 私は、これまでのようにヘルパーを受け入れないままでは難しいと答えました。
 帰る家は、車いすなどでは移動できないような大きな段差だらけの家でもありました。奥さんの物忘れも進み、自分のことすらロクにできていない状況で御主人の面倒を見れないのは明白でした。
 そうした私の考えを伝え、その日の話し合いは終了しました。


しばらくすると、奥さんから電話がありました。
「家まで来い」と言います。
「何かあったべか…?」
 「なんで、お前は家族でもないのに余計な口出しすんのだ! 頼んでもいないのに訳の分らない施設ば紹介したりして! 誰がこの家で暮らさんねあて(暮らせないって)言った! 私がこの家ば、守らんなねんだがら!(守らないといけないんだから!)」


 すごい迫力でした。
 何代も続いた名家を絶やすことなく、守り通すことを自らの使命ととらえておられるようでした。
 そのためには介護施設などへ入ることはもっての他だったようです。
 冷静に現状のことや制度のことなの説明をしましたが、奥さんの頭には入っていません。
 以後も病院と親戚、奥さんとの話し合いは何回か持たれたのですが、私は、その一件以来、話し合いの輪に入れてもらえなくなりました。
奥さんが「来るな」と言ったからです。


 ただ、現実には病院と親戚だけの話ではらちが空かないので、実は奥さんに気付かれないように私も時間をずらして病院へ行き、報告などはすべて私の耳にも入ってきました。

 そして、それについて、親戚の方々と私とで再度、検討を重ねるといったことをしていました。

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