3/3 老いや障害があっても普通に生きることを支援したい

板垣 明江さん
社会福祉法人恩賜財団済生会支部山形県済生会
「済生会愛らんど地域包括支援センター」
(聞き手・本間清文)

垣間見る孤独と不安

ある朝は、訪問すると丁度、朝ごはん時でした。
 見るとごはんにスジコだけの食卓でした。
 他にも何もない食卓でした。
 「(おかずは)こいづばりなんだが?(これだけなの?)」と驚くと「なして?いっつもこれ食ってんだ!」と怒鳴り返されました。
 冷蔵庫の中に食べ物がなかったわけではありません。
 むしろ、逆で冷蔵庫の中はあふれんばかりに、食材が冷凍されていました。
 だけど、もはや調理自体が困難になっており、結局、スジコやタラコなど瓶詰め食品のようなものばかりを食べていました。
「そんなのばり食ってっど、体さ悪いよ」
「これで充分だべ!」と頑として折れません。
でも、その一方で、毎日のように私に電話をしてきました。
「なにしたべ?」
「なんだか、訳が分らなくなってよ…家さ、来てけねが(来てくれないか)」と言います。
そして、いざ訪問すると「…何でもないんだけどよ…」と。
 それでも2時間、3時間と話を聞いているうちに、ぽつりぽつりと本音も出来てきました。


「私はこれから何すっどいいんだべ・・・」
「代々、続いた、この家を守らんなねんだべ・・・」
「でも、もうこの年だし・・・仕事は忙しいのか・・・?」
「まあ、そこそこ忙しいですね」
「独身なのか?」
「結婚して夫と二人暮らしです」
「夜はちゃんと帰ってご飯を作って食べてるのか」
「残業がない限りは大体、20時までには帰ってご飯を作って食べてます」
そして、最後には「…この家の跡取りになってくれないか」というのでした。
本来なら、親戚とか身内の人に話すようなことまで、赤の他人である私に話してこられました。
「赤の他人の私が跡を継ぐわけにはいかねべ」。
「あんたは孫みたいなもんだから」とのことでした。
言葉にならない寂しさのようなものを感じました。

 そして、奥さんは御主人が入院していることすら忘れてしまうこともありました。
 私に電話をしてきて、こんなことを言うのです。
 「主人がいないの・・・警察に電話をしようかと思う…」
 「御主人は今、○○病院に入院しったべ?」
 「そうなの…?」
 「転んで、骨折したっけどれ(骨折したでしょ)」
 「そうだっけ・・・?」 
 その場は何とかなだめすかしました。
でも、結局、警察に電話し、警察から私に連絡が入りました。
 もう、奥さん一人の自宅での生活はとっくに限界に達していました。


「施設に入るのはどうだべ?」
「…どうして、この家で暮らしたらいけないんだ…?」
「お風呂さも、もう何日も入れていないし、ご飯もきちんと食べられていないべ。病院の薬も飲んでないようだし。大事なことができていないから、親戚の人も私もみな、心配してんのったな。ヘルパーさんに来てもらったりすれば、まだ、なんとか家でもやっていけると思うけど、それは絶対したくないでんだべ?。だとすれば、もう家での生活は限界だから、ここではないどこかへ移り住むっていうことも考えらんなねべ」。
 これまでに何度か言ったことをまた繰り返しました。
「なんで、あんたは同じことばっかりいうのや!? 私はこんなに不安なのに、なんで、あんたは、そんなことしか言わないの!」。
 「…」。


 二人で、にらみ合うような時間が、2時間も3時間も過ぎてゆくのでした。


終了

 その後、入院中の御主人の退院先をどこにするかについて、病院、御親戚、私との話し合いを積み重ねました。奥さんしかいない、あの大きな家にもどすことは、やはり無理だという結論にいたりました。
そして、御主人は病院から直接、介護施設へ入所することを親族は選びました。


「奥さんには、健康管理上、施設へ入るしかない」と、なかば強引な説明でもって話を押し切りました。
(そこで、在宅介護を支援する役割である私・ケアマネジャーと御主人との契約関係は終了しました。)                                     
そして、御主人は病院を出て、介護施設へ入所しました。


 その後、奥さんは御主人に会いに施設に通うようになりました。
やがて、そこに泊ったりするようになりました。
何回か宿泊を重ね、その後、奥さんも御主人のいる施設へ本入所されました。


 そこで、奥さんとの契約もあっけなく終了となりました。
 あれだけ奥さんがこだわっていた、家を守るという願いは叶わず、無人の状態で残されることになってしまいました。
 今、思えば、やはり、ヘルパーや親戚や仲のよかったお友達だけでも、受け入れていれば今も、あの家で夫婦で過ごせていただろうと思います。


 だけど、それは、かないませんでした。
 それが奥さんらしさでもあり、そこに尊厳もあったのかもしれません。
 現実には、もうとっくに家を守ることはできないのだけど、気持ちがその現実について行っていませんでした。
生真面目で気高く、頑な気持ちこそが、奥さんの尊厳やその人らしさがあったのかもしれません。


 だけど、その自分らしさを通そうとするがゆえに、肝心の生活が成り立たなくなっていました。
 そして、結果的には奥さんが守りたかった家の生活を維持させてあげられず、私の中には、後悔が残っています。どうしてヘルパーの利用に導き出せなかったのだろうと。


 こんな後悔を少しでも減らせるように、一人でも多くの方が、病院や施設ではなく、自分の住み慣れた家で、わがままに生き、最期を迎えられるように、自分の支援の力を向上させたいと思っています。

老いや障害があっても普通に生きることを支援したい



私自身は今後の抱負として、できれば病院などではなく家で自由気ままに最期まで過ごし、逝けるような看取りを支援してゆきたいと思っています。


 そのためには、看取りをする家族の支援も欠かせません。
 山形は今のところ、世帯間の同居率が全国一位です。本人と家族の在宅での看取りに対する気持ちがしっかりあれば、実現できる可能性があるのではないかと思っています。


 もちろん、他の地域同様に以前に比べたら、地域や家族の絆も弱まってきており、介護力も弱まっているかもしれません。
集落内の人間関係だけでなく、家族の関係も以前に比べ希薄になりつつあると感じています。


 介護をなるべくなら避けてとおりたい人の気持ちも分らなくもありません。だけど、そこは、いずれみんなが通る道です。自分も必ず、誰かの世話にならなる時がきます。その現実からは目を背けていては、地域で生きていけないように思うのです。

 やがて来る自分自身の未来のためにも、今後は地域で、人が生きて、老い、死んで逝くことや、ケア、介護、介助って何だろうってことを話せる機会や場を作れればいいなと思っています。

 職種や障害、年齢や性別などさまざまな枠組みにとらわれず、一人ひとりが自分らしく与えられた生をまっとうできるような、そんな土台づくりのための話し合いの場や交流の場が作れればいいなと思います。

 そして、そのためには、何よりも関係性の中心に来る当事者、老人や障害者の声をすくい上げ、代弁していくことが欠かせません。

 でも、まだまだ、そこの所が力不足で、彼らの声をどうやってすくい上げればいいのだろうと思い悩んでいます。
彼らの声をいかにすくいあげ、代弁し、社会に発信していけるかを、今後も考え続けていきたいです。それが私自身の今のテーマです。


この業界に足を踏み入れることになった精神障害の方々や身体障害、要介護状態にあるお年寄り達は、みな、社会的にはちっぽけで影響力の乏しい、社会的弱者といってもよい方々でした。
でも、その方々の生きる意味や存在価値が軽いものであっていいはずがなく、私は、彼らの側に立ち、もっともっと支援し、共に生きていけるような地域を作りたいと思っています。
 彼らが、普通に町や集落に溶け込んで、生き生きと過ごしている社会はきっと私達にとっても居心地がよく気持ちのいい社会だと思うからです。(おわり)

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