1/6 商社在勤中に襲った母の入院 

インタビュー
1/6 商社在勤中に襲った母の入院 

三島 史津子さん
(通所介護「くらしや朗幸(ろこ)」代表)埼玉県川越市
(聞き手・本間清文)
※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。



私は一人っ子です。母が女手一つで私を育ててくれました。

気の強い母でした。今もよく覚えているのは、3歳からピアノを習っておりましたが、練習嫌いで中々ピアノの前に座る事が出来ませんでした。その日もピアノに向かったもののグズグズしておりました所、余程腹に据えかねたのでしょう、「そんなに嫌なら辞めてしまえ!」と教則本バイエルを真っ二つに割きました。

けっこうシッカリしたつくりの本だったのですが…迫力でした。

ゴルフ場のキャディなど、とにかく働かなければならなかったので、ずっと母は働いていました。
常に私の手を力強く引っ張り、私はそんな母を「強い人だな」といった心持で下から仰ぎ見ていたように思います。

そんな母をずっと見て育ったからでしょうか、私自身の中では女性でも「仕事をする」という感覚が普通にあります。

私が大人になり働くようになってからも「仕事の関係者に迷惑をかけてはいけない」、そんなことをよく聞かされていました。

私自身は、若い頃は飲食店などに勤め、40代の頃からアジア圏に鉄鋼プラント(製鉄工場)の部品を納める小さな商社で働かせていただいていました。

最初は電話番などの仕事から始まったんですが、少しずつ貿易事務や見積もり作業などの仕事をさせていただくようになり、気付けば秘書として社長の側で働かせていただくようになっていました。

マレーシアなどに輸出していたのですが、海岸近くにプラントがあることに加え、現地の技術者達の技術や意識も決して日本のようなレベルとはいえません。だからプラントの部品なども通常より早く傷んでしまい、その交換などで頻繁に出張対応などもありました。
 
仕事は大好きでした。
経済界の重鎮や国賓級レベルとのお付き合い、パーティーへの参加というようなきらびやかな世界があったかと思うと、工場では何千度もの高温の熱と炎と戦う技術者達の世界もあった。鉄づくりの工場は豪快な一面を持つのはもちろんのこと技術者の仕事では、反面、実に細やかな神経が必要な側面もある。

そうした様々なモノと人の中で、時に国のトップレベルの人達の中にまで身を置かせてもらう体験をすることは非常に刺激的でおもしろかったです。

もちろん、私自身は秘書ですから直接、ビジネスの判断などを下すことはありません。しかし、社長や関係者のそうした緊迫したやりとりの場に同席し同じ空気を吸っているだけでも非常にスリリングで魅力的な仕事でした。

そんな風に海外へ出かけることもしょっちゅうでしたから、母には毎晩、電話を掛けていました。

ある晩、いつものように電話をすると母が電話に出ません。
何度、鳴らしても反応がありません。

夜10時頃の電話だったので「寝てしまったのかな」と思い一旦、切りました。

翌朝も掛けてみるのですがやはり応答がありません。何年もこうした生活を始めるようになって初めてのことでした。

不安になって母の住む団地の住人の人にも電話してみました。だけど、電話に出ません。ますます不安になり、東京にいる知人に「母の様子を見に行ってくれないか」と頼みました。知人は早速、様子を見に行ってくれ翌日、電話がありました。

「昨日、入院したようだ」とのこと。洗面所で脳梗塞を起こし転んだものの、その後、一旦、意識を取り戻し自分の手で救急車を呼んだとのことでした。更に翌日の夜からは夜間せん妄※による混乱が激しいようでベッドに紐のようなものでしばりつけられている。

そのことに主治医が娘である私と話したがっているとのことを伝えてもらいました。

※「せん妄」:急激かつ一過性に意識水準が変化した状態。1日の中でも状態は変動する。意識障害、認知機能障、認知症の精神症状に類似の症状が出現。(つづく)

1/6商社在勤中に襲った母の入院
2/6病院そして回復期リハ病院へ
3/6仕事か母か、どちらを選ぶべきか
4/6母は本当にどうなっちゃったんだろう
5/6自分の心の中の大黒柱はやはり母だったんだ
6/6
「持ちより介護」できないかな