2/6 病院そして回復期リハ病院へ 

インタビュー
2/6 病院そして回復期リハ病院へ 

三島 史津子さん
(通所介護「くらしや朗幸(ろこ)」代表)埼玉県川越市
(聞き手・本間清文)

※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。

社長には以前より、母一人、子一人の二人だけの家族だということを話していたので「お母さんの元へ行ってあげなさい」と帰国をすすめてくれました。

帰国して病院へ行くと、とりあえず母の状態は薬などで鎮静化していましたが医師からは「多分、認知症でしょう」と告げられました。それまで認知症に対して世間一般並みの知識しか持っていなかったので一瞬、わが身のことと信じられませんでした。

具体的にどんな病気で、これからどうなるのかが分らないだけに「私はどうしたらいいんだろう。私の人生はどうなっちゃうんだろう」と静かにパニックを起こしていました。

医師からは「今後のことはMSW(=メディカル・ソーシャル・ワーカー=医療福祉相談員)と相談してお決めになってください」と言われました。そして、MSWさんとの話し合いをしました。

幸い、私が仕事を持っており急な身の振りもできないことに配慮してくださる方で「今の病院を退院したら回復期リハビリ病院へ転院しましょう。スムーズに移行できれば半年間程度の猶予はできると思います。まずは時間を稼ぎましょう」と言ってくださった。それで多少、心の平穏は取り戻せました。

しかし、母の夜間せん妄は相変わらずで夜間帯になると騒いでご迷惑をかけていることを何度も聞かされていました。

ただ、それでも私が日中、病院へ行った時に会う母は比較的、落ち着いていましたので、そうした混乱状態の母をはっきりと意識したことはありませんでした。

しかし、それが、ある日、病院に行くと、そこには、これまでの母とはまったく違う目つき、まったく違う形相で、大声を出し騒いでいる母がいました。私のことも認識できていません。「…これって、お母さん…?」。辛く悲しくショッキングな場面でした。

しかし、母は少しずつ回復に向かい回復期リハビリテーション病院※へと転院になりました。

※「回復期リハビリテーション病院」=早期離床・早期リハによる廃用症候群の予防などを目指す急性期リハビリを経て、集中的リハによる機能回復・日常生活動作の向上などを目指す病院。

転院した当初は再び、場所の移動によるショックからかパニック状態になり落ち着かないので車いすに座らされ、自分から立ったり歩いたりしないように縛り付けられていました。

でも、歩くことも少しずつ出来るようになり、不自由だった指も少しずつ動くようになり、スプーンから箸が使えるようになり、少しずつ回復に向かいました。私のことも認識できるレベルになり、面会に行った私が帰ろうとすると、寂しそうな態度を取るのです。「どうしたら元のお母さんに戻ってくれるのだろう」。後ろ髪を引かれる想いで病室を後にしました。

半年も経つとかなり回復し長谷川式簡易知能評価スケール※も入院当初は30点中15点だったのが半年後には満点が取れるほどに。入院前と同じレベルとまでは行きませんが、病的に判断力や理解力、体力が低下しているレベルは脱することができました。それに伴い退院のことも考える時期が近づいてきていました。

※「長谷川式簡易知能評価スケール」=認知症のスクリーニングを目的とした評価尺度で 9つの質問からなる。約15分程度で精度の高い評価が行える。HDS-Rとも。(つづく)