2013/09/04

5/6 自分の心の中の大黒柱はやはり母だったんだ

インタビュー
5/6 自分の心の中の大黒柱はやはり母だったんだ
三島 史津子さん
(通所介護「くらしや朗幸(ろこ)」代表)埼玉県川越市
(聞き手・本間清文)
※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。

24時間、母から離れられず、他の何もできない生活が何日も何日も続きました。

一体、いつまでこの生活が続くのだろう、と考えてもまったく先は見えません。育児は半年後には寝返りが打てて、1年後には歩けるようになって、と見通しのようなものもつくかもしれません。でも、介護の場合はそれがまったくありません。気付くと私は担当のケアマネジャーに泣いて電話をしていました。

「…どうしたらいいんでしょう…」。泣きながら訴える私にケアマネさんは主治医に入院させてもらえないか相談するようアドバイスしてくれました。

主治医は精神科への入院の話を進めてくれました。私も藁にもすがる思いで入院の手続きを進めました。

病院の書類を書いていた時のこと、ふとある文字が飛び込んできました。「保護者」という文字が。

その保護者欄に私の名前を書いているとき、何だか違和感を感じたのです。

「私は母の『保護者』というような強い存在じゃない。私の心の中にいる母は、幼い頃、りりしい目で私の手を引き、家のことも仕事もこなす心強い母だった。私は決して、そんな強い母の保護者なんかじゃない」と無意識に思っていました。


だけど、現実には保護者欄に自分の名前を書くわけです。その違和感に、あらためて母がどれほど私にとっての心の支えになってくれていたか実感させられました。

仕事的には社長秘書として大きな仕事もこなし経済的に自立していましたから、精神的にも母から自立したつもりでしました。でも、その時、自分の心の中の大黒柱はやはり母だったんだと実感した瞬間でした。

母を看るつもりでわざわざ仕事をやめ引き取ったにも関わらず結局、入院させてしまうことになり、私は何をしているのだろうと辛かったです。

その後も母の様子は快方に向かいません。幻覚や幻聴が現れ、そのことを私にもいうようになりました。

対応方法としては本人の言うことを否定しない方がいいとインターネットで調べていました。

母が自分に危害を加えるような幻覚などを見ていれば「私が守ってあげるから大丈夫だよ」というような保護的な言葉で安心させるのが良いというようなことが書いてありました。鳥の鳴き声の幻聴が聞こえ「うるさいんだよ」と言うように本人に危害を加えそうにないような内容の場合は「そうだね」と適当な返事をしてみたり、本人が幻として見聞きしていることを否定しないよう意識しました。

その後、母は介護老人保健施設、回復期リハビリテーション病院で再び生活をするようになりました。やはり状態はよくならず転倒による骨折を繰り返し、歩けなくなってきました。

顔は無表情で何もしない時間が増えていました。それからレビー小体型認知症※に現れることがあるという体の傾きも出ていました。以前より病院などで聞かされる母の病名にどこか納得できていなかった私はインターネットや本で情報を集め、「母はレビー小体型認知症なのではないか」と思うようになっていました。

※レビー小体型認知症:アルツハイマー病とパーキンソン病の特徴を併せもつ疾患。

以前、病院で処方されていた薬が介護保険施設や別の病院へ行くと微妙に異なる薬の処方に変わっていたようで、それも担当医達への不信につながっていました。

かねてよりインターネットで調べておいた認知症の専門医に母を見てもらいたくて思いきって受診しました。

納得のいっていなかった薬の処方についても説明をしてくれました。でも、その先生は遠方で主治医にはなれなかったので近くで似たタイプの先生を紹介していただき、以後、その先生に診てもらうようになりました。

おかげで薬が切れても叫ばなくなり、母は回復こそしませんが、薬が切れても叫んだりはしないようになりました。
(つづく)

1/6商社在勤中に襲った母の入院
2/6病院そして回復期リハ病院へ
3/6仕事か母か、どちらを選ぶべきか
4/6母は本当にどうなっちゃったんだろう
5/6自分の心の中の大黒柱はやはり母だったんだ
6/6
「持ちより介護」できないかな


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