大阪府東大阪市・山中みゆきさん
(聞き手・本間清文 2014.6)
※本文は個人情報保護の観点から事実とは異なる箇所があります。
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本文中の高橋さんが世話をした花と山中さんが作った手芸作品をからませて作った手作りカレンダー |
◆飽き性の私を飽きさせない訪問介護の現場
介護の仕事をやる前はまったく違う関係のことばかりやっていました。
昔から飽き性で同じことばかりを続ける仕事とか、長時間拘束されるような仕事が苦手だったので、単発でできるぬいぐるみショーや季節単位で働く旅館のアルバイトなどを繰り返していました。あとは、そうしたバイトの合間にテレホンアポイントとか。
それで、その延長線でたまたまホームヘルパーの仕事をチラシで見かけました。見れば時間の融通が効くし、時給もいい。資格まで取らせてもらえると書いてあった。なんとなく自分の性分に合ってるように感じたので門を叩きました。
◇
そこは大手企業の訪問介護の会社でした。資格を取らせてもらい、登録ヘルパーとして働くことになったんです。
その時の条件に、格安で資格を取らせてもらう代わりに、1000時間は現場で実務をこなさないといけない、とありました。そうはいっても、続かずに辞める人もいましたが、私、その辺が変に真面目な所があって、とにかく1000時間は働かないといけないと思い込んだのです。
また、ヘルパーの資格取得のために行った学校も結構、面白かった。何しろ、これまでの人生で福祉とか介護とは無縁で生きてました。そこへ「その人らしい生き方を支援する」とか「ノーマライゼーション」とか、初めて聞く価値観や概念を知ったわけです。
それまでやっていた化粧品や通信教育のテレアポの仕事は、「必要でない」と思われる人にも「必要である」かのようにうまいこと話をして接触するので、自分のしていることは無駄かな?という疑問がいつもありました。
それに比べて私達ヘルパーは、お役所から「必要である」とお墨付きを持って訪問するわけで、(私は必要とされているんだ!)と気持ちの持ちようも全然違いました。
そうはいっても当時は、まだ介護保険も始まった間もない頃。なぜか、利用者さんは(訪問すると)怒っているような人が多かった。
訪問介護の意味とか内容も今以上にいろいろと誤解が多かった時代だったからか、訪問するやいなや「ワー!!」ってモノを投げつけられたりね(笑)
で、そういう、対応が難しい利用者は、ヘルパーが訪問を拒否したり、反対に利用者から拒否されたりで、しょっちゅうヘルパーが交代する。その内、代替要員もいなくなるから私達、新人ヘルパーにどんどん役回りが回ってきました。
◇
その時の会社のサービス提供責任者※(以下「サ責」)の女性がイケイケどんどんタイプだった。新人ヘルパーを結構、難しい利用者なんかにちゅうちょなくコーディネートする人。「いけ~っ!」っていう感じで。「訪問介護の利用者って変わり者ばっかりか?!」と驚きの日々でした
◇
当時、印象深い出会いとして残っているのは脳梗塞の後遺症がある女性でした。
後遺症による性格の変貌もあったのか、とにかく短気でよく怒る人でした。
家事の細々とした点について、自分なりのやり方やこだわりがあって、その通りに私が出来ないと怒鳴るんです。
その人、病気になる前は、料理が上手だったみたいなんですね。そこへ、新米の未熟な私が登録ヘルパーとして派遣された。こっちは不慣れで緊張してるし、他人の台所で勝手も十分に分からない。そこへ「ブロッコリーを鉛筆のように切れ」って言われました。
彼女は足腰も不自由で一人では立ち歩きができなかったから、台所から離れたベットから私の動きをずっと見ていて、背中越しに私に指示を出してきました。
でも、私はずっと見られている緊張感と料理上手でもないので、言っている意味を理解できない。モタモタしていると「アホかー?!」ってティッシュの箱が飛んできた。
びっくりしてさらにモタモタしていると、また別のモノが飛んでくる。自分の手の届く範囲にあるものを全部、投げつけながら私に指示を出してくる。私の思考回路が完全にショートしているのを感じ「こっちへ来い!」と言う。そこでブロッコリーと包丁を本人の所へ持っていくと
「あんた、こんなことも知らんのか?!」と私にブロッコリーを持たせ、自分は左手で包丁を取り(右は麻痺があった)、自らやってみせてくれました。綺麗な包丁の使い方でした。怖いけど、この人何かすごいなあ…と思いました。
別の日には「辛子酢味噌(からし・すみそ)で味付けしてくれ」と言われました。でも、私は辛子酢味噌を作ったことが無かったので「へ?」っていう顔をしてると「そんな事も知らんのか?! 辛子酢味噌は、こうやって作るんや! アホか!」と怒りながら教えてくれました。
それで、私、初めて辛子酢味噌の作り方を知りました。
「餃子屋さんで餃子買って来て」って言うから、言われたままに買って帰り、お皿に並べて持っていくと「なんや、この餃子の置き方は?!」と来た。
「どうしました?」
「この餃子、見てみぃ! 置き方が反対やろ!」と。
聞けば、その人が言うには餃子の焦げ目が付いている方を上に向けて皿に置くのは間違いだと。焦げ目が付いている方を下にして並べるのが正式な置き方だと言うんですね。そしてカンカンに怒ってその場で会社に電話をかけました。
「辞めさせろ、こんなヘルパー! 餃子の並べ方も知らんで、よくヘルパーなんかやってられるな!」と。
でも、そこはうちのサ責も慣れたもんでね。「ほんまに、すんませんねー。ヘルパーと言うても素人みたいなもんです。この際、本人のためと思って教育してやってくれませんかねぇ~」と。
数分の電話のやりとりの後、本人は「よし、私が教育したる!」とはりきりました。それで、どうにか首にはならなかったのです。スパルタ教育は勢いづきましたけど(笑)
今、考えたら、あれだけ罵倒されて、よく続いたなとも思います。でも、私は「1000時間は働き切るまでは辞められへん」と思い込んでいたので、辞めずに仕事を続けてました。もし、その「思い込み」がなかったら辞めていたかもしれません。
それに、面白いというか、奇抜というか、今までで関わった事のない人ばっかりで飽き性の私にも日々斬新でしたから。
当時は利用者と深く付きあおうとも思ってなかったので、とやかく言われても、深く気にもしなかった。そんな訳で「辞める」などとは一切、思うことなく、黙々と毎日、現場に出かけてました。気づけば1000時間もとっくに達成し、仲良しの利用者もできていた、という感じだったんです。(つづく)
インタビューメニュー
1/4 飽き性の私を飽きさせない訪問介護の現場
2/4 いつの間にか仕事が以前のように面白いとは思わなくなっていることに気づいた
3/4 ヘルパーって、すごい仕事なんだと気づかせてくれた利用者さ
4/4 私の目指す介護