2013/06/10

1/5 生活に根差した仕事がしたかった

相良勇(さがらいさむ)さん
東京都目黒区・社会福祉法人愛隣会 特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)駒場苑

※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。

生活に根差した仕事がしたかった

 介護の世界に就職して丸8年になります。ずっと特別養護老人ホームです。今は介護支援専門員(ケアマネジャー)兼フロアーのリーダーとして介護実務から現場のマネジメントまでを行っています。

 この仕事に就く前はフランチャイズ系飲食店の店長をしていました。金銭管理から職員雇用まで店舗運営を仕切っていました。もともと衣食住など生活に根差した仕事がしたかったので飲食関係に就きました。

 しかし、その店が効率化を求めて飲食メニューなどの調理などを各店舗に作らせるのではなく、本部からほとんど加工されてもの出すようなシステムに代わりました。セントラルキッチン化です。

 今まで店舗で作っていた食品などはレンジなどで温めるだけの仕事になったのです。自分で主体的に仕事をしたり、考えて動くことが好きだっただけに、それ以来、ひどくやりがいが低下してしまいました。

 また、その頃、身内にホームヘルパーをやっていた者が複数いました。少しテキストを読んでみると面白そうだなと感じたんです。それで働きながらホームヘルパーの資格を取るための講座を受講したのです。

 受講してみると面白い。単純な介護技術的な内容でしたが、当時の自分には知らない知識や技術ばかりで専門的に映りました。面白いなと感じ熱心に受講したのです。

 そして、その流れで、とある介護施設へ実習へ行くことに。予想に反して、その施設では幻滅を抱きました。職員達が反抗できない老人に対してからかうような言動を浴びせたり、ふざけたような態度を取ったりしていたのです。「こんな介護じゃいけない」と強く思いました。

感情失禁の目立ったのヤマさん

 初めて就職した施設は、今とは違う所で職員は何人もいるのですが、その介護の取り組み方ややり方が人によって全然、違っていました。まったく統率感がなくバラバラ。勝手気ままな介護をしているだけに映りました。これまで飲食関係者として顧客へのサービス意識を強くもって働いていた自分には違和感を抱くものだったのです。だから、そんな状況を自分で変えてゆきたい、とも思っていました。

 老人について、今もよく覚えているのはヤマさん(仮)のことです。

 脳血管性の認知症と診断されている方でした。歩くことは何とか可能で施設の中をつかまり歩いて移動されていました。しかし、物忘れがひどく会話は成り立ちません。

 トイレに行って紙でお尻を拭いたり、目の前に服があるとそれを着替えるという生活行為の中の「手続き」に関する記憶は残っていました。

 そして、笑って踊っていたと思ったら、突然泣き崩れたり、怒ったりする。うまく感情のコントロールができない「感情失禁」がとても目立っていました。それに対し職員は解決しようのない問題としてとらえていました。

 ヤマさんは突然立ち上がり、怒ったり泣いたりされるので、職員は「危ないから座っていて」と、半ば強引に座ってもらうなどの対処療法しか取れていませんでした。トイレの失敗も多く、夜、自分で歩いてトイレに行き、便で衣服を汚してしまったり、トイレでは部屋の片隅で尿や便をしてしまわれることもありました。

 ご家族からは「衣服が汚れているので、そんな時は取り替えてください」「お尻が拭けておらず汚れています」などの指摘もありました。それに対し、なす術も持っていなかっために職員達は「無理なことをいう御家族」という印象すら抱いていました。

インタビューメニュー
1/5
生活に根差した仕事がしたかった
感情失禁の目立ったのヤマさん
2/5
排せつの意味
安全確保か自由か
3/5
リスクマネジメント
介護職員の不安
4/5
今日一日を楽しく過ごしてほしい
ご家族の重要性
5/5
介護現場での医療の専門性について

インタビュー後記


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