インタビュー後記

※インタビュー後記

インタビューの中で、二点、印象に残ったことを便乗して書かせていただきたい。

「やってみないと分からない」介護
 まず、「介護って、やってみないと分からないことがある」という表現は非常に介護福祉的な表現だと思う。医療領域で使おうものなら強烈な批判を浴びるだろう。

 思い出すのは赤沢さん(仮名)のことだ。

 物忘れが病的に進行しており、おまけに被害妄想を持っていらした。様々な面で介護福祉サービスの利用が必要と思われたのでデイサービスを進めたが「必要ない!」と頑なに拒まれた。

 しかし、あきらめきれなかった私は車いすを赤沢さんの家まで勝手に持って行き、歩ける本人を半ば強引にデイサービスの見学へ連れていった。するとどうだろう赤沢さんはデイサービスが大そう気に入り、入り浸るほどデイサービスを利用することになった。

 こうした「やってみないと分からないことがある」というのは介護福祉の現場ではしょっちゅうある。そんなことばかりだといっても大げさではない。それを時に介護福祉に盲目な連中に限って「根拠、エビデンスはあるのか」などと言ってくる。それは、恋した相手がいたとして、その根拠を問うのと同じ程、愚問である。

 介護は大きく分類して「行為」と「関係」に分かれるが、「行為」は高度なことをするわけではない。

 医療のように薬を使ったり手術をするわけではない。せいぜい使うのは「言葉」と「手」くらいのもの。

 あとは「誰と」もしくは「どのような関係性の中で」生活するかという関係性、人間関係に大きく左右される。その関係性の深さと広さが医療にはない介護の特徴である。

 その人間関係の力学に根拠があるはずもなく「やってみなければ分からない」のが介護福祉となる。

「よいケアをしても給料が上がるはずでもなく、なんの見返りもない」という声について


 こちらの記事について「よいケアをしても給料が上がるはずでもなく、なんの見返りもない」ことを理由に介護の質の向上に消極的になることが時に介護事業者に蔓延することがある。この問題について踏まえておかなければならないのは、介護の仕事に就こうと思う人の多くは「ベンツに乗りたくて」介護職になっているわけではないことだと思う。

 なぜ、介護福祉の仕事に就くのかというと「人の役に立ちたいから」といった動機が多数を占める。つまり根底には「感謝されたい」「評価されたい」という人としての当たり前の欲求がある。

 しかし、「給料が上がるはずでもない」ことを理由に不適切なケアを「仕方ない」として開き直ってしまうと、親を預けている家族はどう思うか。自分の親が不適切なケアを受けていることを見るのが辛く、かといって自分で介護できない申し訳なさも混じりあい、介護施設へ足を運べなくなる。「わがまま言うと施設を追い出されるかもしれない」という強迫観念も手伝い家族は親の介護を介護施設へ丸投げすることとなってしまう。

 しかし、その結果、施設は老人の人生を丸ごと背負わされることになる。その老人自身と何らかの深い人間的なつながりがあれば、それだけでもよい介護の動機になるだろうが、中には深い認知症ゆえに意識も不明瞭な植物状態に近いような方もおられる。

 その方々にとってもっとも大切な家族や、本人の声を代弁しうる唯一の存在である親族との関係もない中で、毎日、毎日、「人間的なつながりのない方」に「人間的なケア」を行うことは困難を極めることになる。

 その瞬間、介護福祉は単に「安い賃金で糞尿処理と栄養摂取を行うだけで、何の評価もない仕事」になる危険性を秘めている。

 このマイナス・スパイラルを断ち切るには介護を事業者が背負いこもうとするのではなく、(村瀬孝生氏の言葉を借りるなら)地域や家族に「還元」していくことが非常に重要になると思う。要は家族や市民から介護を完全に取り上げてしまうのではなく、協働の方向性を模索することが大切だと思う。

 その点で家族や市民の介護を丸ごと背負い込もうとする営利民間企業のやり方をよしとする現在の介護保険制度は問題だと思っている。「専門性」とか「安心」「保護」などの大義名分の元に事業者の介護抱え込みを結果的に推奨するシステムになってしまっている。

結果、現場の介護職から「感謝」「評価」というもっとも重要なやりがい要因まで奪ってしまっているのだから。
インタビューメニュー
1/5
生活に根差した仕事がしたかった
感情失禁の目立ったのヤマさん
2/5
排せつの意味
安全確保か自由か
3/5
リスクマネジメント
介護職員の不安
4/5
今日一日を楽しく過ごしてほしい
ご家族の重要性
5/5
介護現場での医療の専門性について

インタビュー後記

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